神殿はここにこそあるべき

収穫感謝礼拝

歴代誌講解23

神殿はここにこそあるべき

歴代誌上 21:15-22:1

15 神は御使いをエルサレムに遣わし、これを滅ぼしてしまおうとされたが、御使いが滅ぼそうとするのを主は御覧になり、この災いを思い返され、滅ぼそうとする御使いに言われた。「もう十分だ。その手を下ろせ。」主の御使いはエブス人オルナンの麦打ち場に立っていた。16 ダビデが目を凝らすと主の御使いが地と天の間に立ち、剣を抜いて手に持ち、エルサレムに向けているのが見えた。粗布に身を包んでいたダビデと長老たちは地に顔をつけて伏した。17 ダビデは神に言った。「民を数えることを命じたのはわたしではありませんか。罪を犯し、悪を行ったのはこのわたしです。この羊の群れが何をしたのでしょうか。わたしの神、主よ、どうか御手がわたしとわたしの父の家に下りますように。あなたの民を災難に遭わせないでください。」18 主の御使いは、ダビデにこう伝えるようガドに言った。「ダビデはエブス人オルナンの麦打ち場に上り、主のための祭壇を築かなければならない。」19 ダビデは、ガドが主の御名によって告げた言葉に従い、上って行った。20 オルナンも振り向いて、御使いを見た。一緒にいた四人の子らは身を隠したが、オルナンは麦を打ち始めた。21 ダビデがオルナンのところまで来たとき、オルナンはよく見て、それがダビデであることに気づき、麦打ち場から出て、ダビデの前で地にひれ伏した。22 ダビデはオルナンに言った。「この麦打ち場を譲ってもらいたい。わたしはそこに主のために祭壇を築かなければならない。代価を十分支払ってそれを譲り受け、民から疫病を除きたい。」23 オルナンはダビデに言った。「お受け取りください。主君、王の目に良いと映るままに行ってください。御覧ください。焼き尽くす献げ物のための牛も、薪にする打穀機も、穀物の献げ物のための麦も、わたしは差し上げます。すべて差し上げます。」24 ダビデ王はオルナンに言った。「いや、わたしは代価を十分支払って買い取らなければならない。あなたのものを主にささげることはできない。無償で得た焼き尽くす献げ物をささげることはできない。」25 ダビデはその土地の代金として金六百シェケルをオルナンに渡した。26 ダビデはそこに主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、主に祈り求めた。主は焼き尽くす献げ物の祭壇に天からの火を送って答えられた。27 主は御使いに命じて、剣をさやに納めるようにされた。28 そのとき、ダビデは主がエブス人オルナンの麦打ち場でお答えになるのを見て、そこでいけにえを屠った。29 そのころ、モーセが荒れ野で造った主の幕屋も、焼き尽くす献げ物をささげる祭壇も、ギブオンの聖なる高台にあり、30 ダビデは主の御使いの剣を恐れ、神を求めてその御前に行くことができなかった。22:1 そこでダビデは言った。「神なる主の神殿はここにこそあるべきだ。イスラエルのために焼き尽くす献げ物をささげる祭壇は、ここにこそあるべきだ。」

代価を払って準備したささげもの

 今日は収穫感謝礼拝です。
 野菜や果物などを持ち寄って装飾をしました。ご協力ありがとうございます。
 皆さんがささげてくださったものはどれも、特別に準備をしてくださったものですね。道端から拾ってきたわけでもないし、冷蔵庫に余っていたものでもありません。
 忙しい中で時間を割き、代価を払って準備をしてくださいました。
 心をこめてささげてくださって感謝です。

神が定めた場所

 今日はダビデが神殿を建てる場所を定める場面です。
 ダビデの罪のために、イスラエルに主の剣としての疫病が襲い、3日で7万人が亡くなりました。
 その怒りの中でも憐れみ深い神は、御使いに「もう十分だ。その手を下ろせ。」と言いました。
 このとき御使いはエブス人オルナンの麦打ち場に立っていました。地と天の間に立っていたとありますから、立った姿勢で宙に浮いていたのかもしれません。
 ダビデはその様子を見て御使いだと悟り、地にひれ伏しました。
 そこでダビデは神に言います。「罪を犯したのは私です。民を災難にあわせないでください。」
 すると御使いが預言者ガトを通して答えました。「ダビデはエブス人オルナンの麦打ち場に上り、主のための祭壇を築かなければならない。」
 死の災いを過ぎ越す方法を教えました。

定められた場所で血を流すことが救いの方法

 出エジプトのとき、頑ななファラオのためにエジプト全土に死の災いが襲いました。神はイスラエルの民に、死の災いを過ぎ越す方法を教えました。それは小羊の血を門に塗るという方法でした。
 エジプトを出たイスラエルの民に対して主は礼拝の場所を定めました。

13 あなたは、自分の好む場所で焼き尽くす献げ物をささげないように注意しなさい。14 ただ、主があなたの一部族の中に選ばれる場所で焼き尽くす献げ物をささげ、わたしが命じることをすべて行わなければならない。

申命記12:13-14

 荒野にいた頃は臨在の幕屋が礼拝の場所でした。
 カナンの地に定住してからはシロやギブオンが礼拝の場所になっていました。
 その礼拝の場所には祭壇があり、動物のいけにえがささげられていました。
 定められた場所で血を流すことが、罪を取り除く方法として示されました。

 ダビデにも血を流す場所が指定されました。ダビデはこのオルナンの麦打ち場を神殿を建てる場にします。
 「神なる主の神殿はここにこそあるべきだ。イスラエルのために焼き尽くす献げ物をささげる祭壇は、ここにこそあるべきだ。」
 そこは神が定めた場所だからです。

信仰告白の上にキリストの教会が建つ

 神様が定めた場所があります。
 神殿はなくなりましたが、教会があります。
 キリストは教会を建てる場所を定めました。

わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。

マタイによる福音書16:18

 キリストは「この岩の上にわたしの教会を建てる」と言いました。
 これは「あなたはメシア、生ける神の子です」というペトロの信仰告白の後に出てきた言葉です。
 イエスは主であるという信仰告白が、キリストの教会の土台です。
 死も悪魔も対抗できないキリストの教会が、信仰告白の上に建ちます。

あなたがイエスを信頼するところが教会

 私たち一人一人が「イエスは主である」と告白するその場所が、キリストが教会を建てると指定した場所です。
 私たちが集まって主を礼拝するこの場所は、まさしく教会です。
 この建物の中だけでなく、皆さんが生活するそれぞれの場所もそうです。
 家族で集まって礼拝するなら、その家が教会です。
 職場で仕事をしているときでも、神様を信頼して働くならそこが教会です。
 学校で勉強しているとき、部活をしているとき、遊んでいるときでも、イエス様を信頼するならそこが教会です。
 イエスを主として生きるなら、そこに死も悪魔も対抗できないキリストの教会が建ちます。

十分な代価を払って受け取る恵み

 ダビデは御使いの言う通り、エブス人オルナンの麦打ち場に行きました。
 オルナンも御使いの存在とダビデ王の来訪に気づきました。何かただ事ではないことが起こっていることに気づきます。そしてダビデから「この麦打ち場を譲ってもらいたい。ここに主のための祭壇を築かなければならない」と言われました。
 オルナン自身も神様を畏れる人だったと思います。そんなオルナンの麦打ち場に天使が現れ、王様から祭壇を築くために土地を譲ってほしいと言われました。オルナンとしては、神様のためならこの土地のものはすべてささげたいです。「焼き尽くす献げ物のための牛もいます。打穀機を壊して薪にしてください。必要なものはすべて無償で提供します」と言いました。
 神様のためにすべてささげたいというオルナンの信仰は素晴らしいです。
 しかしダビデは断り、代価を払って買い取りました。
 ダビデは「神様にささげるものをタダで手に入れるわけにはいかない。代価を十分に支払わなければならない。」と言います。
 歴代誌ではその土地の値段が金600シェケルだったとあります。600シェケルは約11.4gですから、約6840g。金の値段が1g7000円だとすると、4788万円です。ダビデ王にとっても、これは決して安くない買い物だったことでしょう。
 ダビデは十分な代価を支払い、土地を買い取りました。

代価を払うことでカナンの地を正式に所有する

 その土地はエブス人の所有地でした。カナンの先住民の土地です。
 イスラエルの民が代価を払ってカナンの地を買い取ったというのは、実は聖書の中では珍しい記述です。大体は戦争で征服しています。ダビデもエブス人の都市であったエルサレムを戦争で勝ち取りました。
 この前にイスラエルの民がお金を払って土地を買ったというのは、創世記までさかのぼります。
 アブラハムがヘト人の土地であったヘブロンのマムレを買い取りました。これがイスラエルの民が初めて正式に所有したカナンの地です。
 その後、ダビデがカナンの先住民であるエブス人の土地を買い取って正式にイスラエルの所有としました。
 アブラハムとの約束が進展しています。

独り子をささげるよう命じた場所

 そこは麦打ち場でした。麦を打って実を取ります。余計なものを吹き飛ばしやすいように、風通しのよい場所がいいです。ですから周りに障害物の無い、丘の上などに麦打ち場が造られたそうです。
 オルナンの麦打ち場も丘の上にありました。
 その丘はモリヤ山とも呼ばれていました。

ソロモンはエルサレムのモリヤ山で、主の神殿の建築を始めた。そこは、主が父ダビデに御自身を現され、ダビデがあらかじめ準備しておいた所で、かつてエブス人オルナンの麦打ち場があった。

歴代誌下3:1
レンブラント「アブラハムとイサク」

 モリヤ山はアブラハムが愛する独り子イサクをささげようとした場所です。100歳になって神様の約束の通りに生まれた大切な息子を、焼き尽くす献げ物としてささげるように神が指定した場所がモリヤ山でした。
 アブラハムは神の言葉に従い、イサクを連れてモリヤ山に行きます。そして祭壇を築いてイサクを寝かせ、ナイフを持って屠ろうとします。するとモリヤ山に御使いが現れ、アブラハムを止めます。そして代わりの羊を神様が用意して、イサクは助かりました。
 アブラハムは言いました。「主の山に備えあり。」
 神様は命を与えてくださいます。
 100歳の私に息子を与えた神様はイサクを生きて返してくださる、とアブラハムは信じていました。
 そう信じてはいるけれど、代わりに何をささげたらいいかわかりません。それでもアブラハムは進み、イサクを屠ろうとするところまで行きました。そこでようやく神様は羊を示しました。
 主の山には備えがある。神様は必要なものを備えていてくださる。アブラハムはそれを確信しました。
 主が祭壇を築きなさいと言ったオルナンの麦打ち場は、このような歴史があった場所です。ダビデがその歴史を知っていたかどうかはわかりませんが、神殿はここにこそあるべきだと確信しました。

キリストによって成し遂げられた救い

 この後、再びエルサレムの丘の上で独り子が血を流す出来事が起こります。
 それはモリヤ山ではなく、ゴルゴタという丘の上の出来事です。
 神の独り子イエス・キリストが十字架で血を流し死なれました。
 それはエジプトで小羊の血によって死の災いが過ぎ越したように、神の小羊イエス・キリストの血によって死の災いが過ぎ越した出来事でした。
 罪人である私たちは死ぬべき存在でしたが、キリストがあの丘の上で血を流し死なれたことによって死から命に移されています。

安価な恵みと高価な恵み

 私たちはこの恵みをただ信仰で受け取れます。
 それでも私たちはこの恵みをタダで受け取るだけでいいのでしょうか。
 もちろん恵みですからタダで受け取れます。
 ダビデはオルナンの麦打ち場をタダでは受け取りませんでした。十分な代価を支払わなければなりませんと言いました。
 私たちが救いを得るために支払う代価はありません。何も付け加えてはいけません。ただ信仰で救われます。
 しかし恵みで救いを受け取って終わりなら、その恵みは安っぽい恵みになります。

ディートリヒ・ボンヘッファー

 20世紀ドイツにボンヘッファーという神学者がいました。
 ボンヘッファーは現代の説教が安価な恵みを提供しており、恵みの言葉が驚くほど空虚になったと批判しました。
 その安価な恵み、安っぽい恵みというのは、服従のない恵み、十字架のない恵みです。
 確かに救いは恵みで受け取れます。
 しかしキリストは「自分を捨て、自分の十字架を背負ってわたしに従いなさい」と招いています。
 十分な代価を払って恵みを受け取りなさいと招いています。
 服従を伴う恵みが高価な恵みです。

キリストに従うところに神殿が建つ

 私たちも救いの恵みをタダで受け取ることができます。
 しかし十分な代価を支払う必要があります。イエス様に従っていく必要があります。
 今日私たちは代価を払ってささげものを準備しました。
 十分な代価を払ったときに、私たちは神様の恵みをより深く味わいます。
 主の山には備えがある。神様は本当に生きておられる。この命の主を信頼して、イエスは主であると告白するとき、そこに死も悪魔も対抗できない教会が建ちます。
 皆さんの生活の中でキリストに従って自分を変えていく。そこにこそ神様の祝福があふれ流れる主の神殿が建ちます。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください