大牧者による統治

エゼキエル書講解44

大牧者による統治

エゼキエル書 34:17-31

17 お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。18 お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、自分たちは澄んだ水を飲みながら、残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。19 わたしの群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、足でかき回した水を飲んでいる。20 それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。21 お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。22 しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く。23 わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。24 また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る。25 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。悪い獣をこの土地から断ち、彼らが荒れ野においても安んじて住み、森の中でも眠れるようにする。26 わたしは、彼らとわたしの丘の周囲に祝福を与え、季節に従って雨を降らせる。それは祝福の雨となる。27 野の木は実を結び、地は産物を生じ、彼らは自分の土地に安んじていることができる。わたしが彼らの軛の棒を折り、彼らを奴隷にした者の手から救い出すとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。28 彼らは二度と諸国民の略奪に遭うことなく、この土地の獣も彼らを餌食にしない。彼らは安らかに住み、彼らを恐れさせるものはない。29 わたしは彼らのためにすぐれた苗床を起こす。この土地には二度と凶作が臨むことはなく、彼らが諸国民に辱められることは二度とない。30 そのとき、彼らはわたしが彼らと共にいる主なる神であり、彼らはわが民イスラエルの家であることを知るようになる、と主なる神は言われる。31 お前たちはわたしの群れ、わたしの牧草地の群れである。お前たちは人間であり、わたしはお前たちの神である」と主なる神は言われる。

太った羊はどんどん太り、やせた羊はどんどんやせていく

 先週(2018年9月30日の説教)、安倍総理が3期目の自民党総裁になることが決まりました。
 元々2期までしかできない規約になっていましたが、去年改正されて3期までできることになりました。これで今後3年間は、特に問題なければ安倍総理が続けて首相を務めることになります。

上が潤えば下も潤う?

 安倍総理の経済政策はアベノミクスと言われます。
 おおざっぱに言うと、このようなものです。
 大企業やお金持ちにかかる税金を減らして、自由に使えるお金を市場に流す。そうするとそのお金が中小企業や庶民に流れていくという政策です。お金持ちの資本が成長することで、経済全体を成長させていくという考えです。これをトリクルダウン効果と言います。

 しかしフランスの経済学者トマ・ピケティが指摘しているように、長期的に見ると資本収益率は経済成長率を上回ります。つまり結局、お金持ちはどんどんお金持ちになる。全体的に経済は成長するとしても、格差は広がっていくということです。
 ピケティはその格差を解消するために大企業やお金持ちへの税金を増やすべきだと言っています。
 安倍総理はその真逆を行っています。
 そして来年10月1日には消費税が10%になります。
 このままではますます格差が広がり、太った羊はどんどん太り、やせた羊はどんどんやせていく。そのような社会になるのではないかと、私のようなやせた羊は心配しています。

格差を解消する羊飼い

 今日の本文はイスラエルの民たちに対して、一人の羊飼いを立てると約束する場面です。
 羊を苦しめるのは偽の羊飼いだけではありません。羊同士の間でも格差がありました。太った羊は貪欲に草を食べ、やせた羊が食べられないようにする。このような格差を解消するために、羊飼いが必要です。
 主はダビデの子孫から一人の羊飼いを立てます。それはイスラエルが待ち望んでいた救い主、メシアが来るという約束です。

満足しない肥えた羊

 まず今日の本文の17節から22節で『17 お前たち、わたしの群れよ。主なる神はこう言われる。わたしは羊と羊、雄羊と雄山羊との間を裁く。18 お前たちは良い牧草地で養われていながら、牧草の残りを足で踏み荒らし、自分たちは澄んだ水を飲みながら、残りを足でかき回すことは、小さいことだろうか。19 わたしの群れは、お前たちが足で踏み荒らした草を食べ、足でかき回した水を飲んでいる。20 それゆえ、主なる神は彼らにこう言われる。わたし自身が、肥えた羊とやせた羊の間を裁く。21 お前たちは、脇腹と肩ですべての弱いものを押しのけ、角で突き飛ばし、ついには外へ追いやった。22 しかし、わたしはわが群れを救い、二度と略奪にさらされないようにする。そして、羊と羊との間を裁く。』 とあります。

よい牧草地にいる

 主は「お前たち、わたしの群れよ」と呼びかけています。
 16節までは羊飼いに対して語られていましたが、ここからは羊に対して語られています。つまりイスラエルの民に対してです。
 主は彼らがよい牧草地で養われていると語っています。そこは牧草が豊かに生い茂り、小さな川が流れているようなところなのでしょう。
 よい牧場がイメージできましたか?

 ところが現実に彼らが住んでいる場所はどうだったのか。
 エゼキエルたちは今、捕囚になっています。住んでいた場所はケバル川のほとりです。町の名前すらありません。
 ある捕囚の人々はテル・アビブという町に住んでいました。テルとは廃墟という意味です。おそらく洪水かなにかで廃墟になってしまったところに住まわされているのでしょう。
 そんなところで安心して暮らせるでしょうか。
 それを主はよい牧草地と表現しています。一体どういうことでしょうか。

 私たちの目から見れば最悪の環境のように見えても、神様の視点ではよい牧草地なのです。
 私たちは自分たちの豊かさを知りません。
 日本に住んでいる人たちは、日本は生きづらいと思うかもしれません。しかしこんなに安全に生活できる国は他にないです。
 パウロは肉体的な弱さをかかえていました。しかし主は、わたしの恵みはあなたに十分だと言われました。
 私たちには恵みが十分注がれています。豊かな牧草地にいるのです。

残りを踏みにじる

 自分に与えられている恵みに気付かないとどうなるでしょうか。
 他の人と比較して、妬む心が出てきます。
 私にはあれがない、これがない。でもあっちの人はあれがある。こっちの人はこれがある。
 十戒の十番目は何でしたか。むさぼるなです。
 私たちは与えられている恵みから目を離すと、妬み、むさぼるようになります。
 それで少しでも自分が得をしようとして争うわけです。
 こうして牧草地は荒らされ、弱い羊たちは踏み荒らされた草を食べ、足でかき回された水を飲まなければならなくなります。

 これは一部のお金持ちだけに言っていることではありません。
 私たちも恵みから目を離すとき、同じことをします。
 心の中に不平不満を抱えていないでしょうか。
 自分には何かが足りないという飢え渇きがある。お金が足りない、時間が足りない。
 寂しさがある。みんな私のことを理解してくれない、話を聞いてくれない。
 神様は私の祈りを聞いてくれない。恵みがない。
 すると貪欲になり、与えられている恵みを自分だけのものにしようとしてしまうのです。
 お金があっても使わない。時間があっても一人で過ごす。自分が注目されることばかりを求め、他の人に配慮しない。タラントを土に埋め、与えられている賜物を活かさない。
 そうすると恵みの川は自分のところで止まってしまう。
 そして周りの人には恵みではないものが流れていくことになります。

弱い羊を餌食にする

 私たちは恵みなしには生きられません。
 羊が草を食べ、水を飲まなければ生きていけないように、私たちは恵みによって生かされています。
 ところが貪欲な羊によって牧草地が荒らされてしまうと、そこには踏み荒らされた草、汚れた水が残ります。
 それは草であり、水でありますが、もともとの状態から変わってしまっています。

 私たちも貪欲になるとき、周りの人に対して、恵みではないことをするようになっていきます。
 主は私たちを無条件に愛してくださいました。しかし私たちは条件のある愛しか行えません。
 自分がしてもらいたいことを他の人にもしなさいと言われても、自分がしてもらえればそれで終わりです。
 受けるより与える方が幸いなど理解できません。受ける方が幸いに決まっている。
 私たちは恵みの法則によって生かされているのに、人々には因果応報の法則を適用する。
 あなたが貧しく苦労しているのは、努力が足りないからだ。
 今までの行いが悪かったのだから仕方ない。
 あなたの目が見えないのは、親の罪か、あなたの罪の結果だ。
 私たちはこのように脇腹と肩で弱い羊を押しのけ、角で突き飛ばし、外へ追いやります。
 救われるべき弱い人々を社会の外へ追いやってしまう。
 こうして社会から落ちこぼれていく人たちがいます。

 主は彼らが略奪にあったと言います。
 私たちが貪欲になるとき、私たちより弱い他の誰かから略奪しているのです。
 このような社会を恵みで治める統治者が、私たちには必要です。

一人の牧者

 次に今日の本文の23節から25節に『23 わたしは彼らのために一人の牧者を起こし、彼らを牧させる。それは、わが僕ダビデである。彼は彼らを養い、その牧者となる。24 また、主であるわたしが彼らの神となり、わが僕ダビデが彼らの真ん中で君主となる。主であるわたしがこれを語る。25 わたしは彼らと平和の契約を結ぶ。悪い獣をこの土地から断ち、彼らが荒れ野においても安んじて住み、森の中でも眠れるようにする。』 とあります。

養う

 主はこのような私たちのために一人の牧者を起こすと約束しています。彼は私たちを養います。
 34章の前半にあったような偽牧者とは違います。弱った羊を強め、病気のものを癒し、傷ついたものを包み、迷い出たものを連れ戻し、失われたものを探し、恵みと慈しみで治めます。
 先週見たように、神はそのような人たちのそばにいるのです。
 バスに乗り遅れないように力を与える神ではなく、バスに乗り遅れた人と共にいる神です。

 私たちが満足できない一つの理由は、この世から駆り立てられるからです。
 もっと豊かにならなければならない。もっと出生しなければならない。もっと成績を上げなければならない。
 乾いたパンの一かけらしかなくても平和があれば、肉のために争うよりいいのです。
 しかし私たちはもっと多くの肉を食べようと、家の中にも争いを持ちこんでしまいます。
 周りの人を蹴落とし、出生しようと争います。

 勉強は学校のカリキュラムをこなすだけではなく、自分の好きなことを学んだ方がいいです。大学に行くことが人生の成功ではありません。
 しかし子どもたちはたくさんの宿題が出され、テストでよい成績を残すことが求められます。
 このようなシステムで本来の勉強はできません。
 成績がよければほめられ、悪ければ叱られる。このような方法は教育ではないのです。

 社会が求めるあるべき姿でなければ、問題があるということになってしまいます。
 学校に行けない不登校の子どもたちがいる。学校はクラスメイトに「待ってるよ」と手紙を書かせる。
 結婚して子どもがいない家庭がある。周りの人は平気で「子どもはまだ?」と聞く。
 その言葉がどれほどプレッシャーになるか考えません。

 これは偽牧者に駆り立てられた生き方です。そのように生きなくても大丈夫です。
 貧しくても大丈夫。学校についていけなくても大丈夫。子どもがいなくても大丈夫。病気が癒されなくても大丈夫。
 本当の羊飼いは、そのような私たちのそばにいます。

君主

 主はその牧者を、ダビデだと言っています。
 これはダビデの子孫からイスラエルを永遠に治める王が出るという約束に基づいています。いわゆるメシア預言です。
 今イスラエル王国は滅びてしまいました。しかしこの羊飼いが来るとき、イスラエルは建て直され、その王座は揺らぐことがない。

ムリーリョ「東方三博士の礼拝」

 この約束された救い主として来られたのがイエス・キリストです。
 ダビデの子孫であるイエスは王として生まれました。
 イエス・キリストが生まれたばかりのとき、東の国から博士たちが来ました。彼らはユダヤ人の王として生まれた方を礼拝するために来たのです。

 王の役割は何でしょうか。
 それは民を治め、敵から守ることです。
 私たちは偽牧者によって駆り立てられている。
 そこから救い、恵みで統治します。

安心して眠る

 主は平和の契約を結ぶと約束します。
 それはキリストを仲介者として、神と人の間に結ばれる契約です。
 神は人に永遠の命を与える。人は神に従わなければならない。
 しかし人は神に背き、罪を犯した。太った羊のように弱い羊から略奪した。
 その罪の罰として、人は死ななければならなかった。
 そこで神はキリストを送った。
 仲介者であるキリストは人の罪を負い、十字架で死なれた。そして律法の要求をすべて満たした。
 だから人はもう、罪の罰のために死ななくてもいい。そして律法の行いが足りなくてもいい。
 ただ仲介者イエスを信じればいい。
 私たちは義と認められ、偽牧者の奴隷ではなく、神の羊としての新しい身分が与えられています。
 これで安心して暮らせます。

 私たちを罪に陥れようとする悪い獣は断たれた。
 荒野でも安心して住める。森でも眠れる。
 お前はダメだ。また失敗した。お前はクリスチャンにふさわしくない。このように誘惑する声に騙されてはいけません。
 羊は耳がいいのです。自分の羊飼いの声をよく聞き分けて、従います。

 荒野は本来、昼は暑く、夜は寒くて生きられない場所です。
 しかし主が共にいれば、昼は雲の柱、夜は火の柱になって守ってくださいます。
 そして深いところで主につながっていれば、アカシアの木のように枯れることがありません。

 森は暗く恐ろしいところ。
 どんな環境や状況にあっても、主が共にいるなら眠ることができる。
 嵐の中でも、キリストが与える平和は誰にも奪えません。

祝福の雨

 最後に今日の本文の26節から31節に『26 わたしは、彼らとわたしの丘の周囲に祝福を与え、季節に従って雨を降らせる。それは祝福の雨となる。27 野の木は実を結び、地は産物を生じ、彼らは自分の土地に安んじていることができる。わたしが彼らの軛の棒を折り、彼らを奴隷にした者の手から救い出すとき、彼らはわたしが主であることを知るようになる。28 彼らは二度と諸国民の略奪に遭うことなく、この土地の獣も彼らを餌食にしない。彼らは安らかに住み、彼らを恐れさせるものはない。29 わたしは彼らのためにすぐれた苗床を起こす。この土地には二度と凶作が臨むことはなく、彼らが諸国民に辱められることは二度とない。30 そのとき、彼らはわたしが彼らと共にいる主なる神であり、彼らはわが民イスラエルの家であることを知るようになる、と主なる神は言われる。31 お前たちはわたしの群れ、わたしの牧草地の群れである。お前たちは人間であり、わたしはお前たちの神である」と主なる神は言われる。』 とあります。

実を結ぶ

 神は祝福の雨を降らせます。
 乾季には乾燥して荒れ果てた荒野も、雨の季節になると植物が芽を出し、花を咲かせ、実を結びます。
 今は牧草も水も得られないやせた羊であっても、共にいる主が必要を満たしてくれます。
 主ご自身が一方的に恵みを注ぎます。

 イエス・キリストは「わたしはまことのぶどうの木」と言いました。
 私たちはその枝です。枝は木につながっていれば、時が来て実を結びます。

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。

ヨハネによる福音書15:16

 共にいるキリストによって、花を咲かせ、実を結ぶ者に変えられていきます。
 実は食べ物となり、他の人を生かします。
 また実は地に落ちて次世代の命を生み出します。
 恵みによって自分が変えられ、その恵みは周りの人、そして次世代の若者や子どもたちを生かしていきます。

軛を砕く

 神はご自分の民を、軛の棒を折って救い出します。もう二度と略奪にあわないと約束します。
 私たちは罪の奴隷の状態から救い出されました。もう誰の奴隷にもなってはいけません。
 しかし私たちは奴隷に戻ってしまいます。奴隷状態が長かったので、奴隷でいる方が楽なのです。
 自由な人は自分が何をするべきか自分で考えて行動しなければなりません。
 奴隷は言う通りにすればいいです。それ以下のことはしないし、それ以上のこともしない。

 皆さんも誰かの奴隷になっていませんか。
 上司や親、先生の言う通りにするだけ。
 指示待ち人間になってはいけません。
 私たちはロボットではないのです。考えることのできる存在として神は私たちを創造しました。
 そしてキリストの十字架によって奴隷状態から解放しました。
 考えることを捨ててはいけません。悩むことをあきらめてはいけません。
 自分の人生の選択は、自分の頭で考え、自分で行動するのです。

 信仰に関しても同じです。
 牧師が言うから、教会が言うから従います、ではいけません。教会は牧師のものではない。
 牧師も羊の中の1人です。群れの模範になるようにします。
 しかし牧師も間違える時があります。そんなとき、牧師の言いなりになっていたら一緒に道を踏み外します。
 羊飼いの声を聞いてください。キリストに目を留めてください。

よい苗床

 主は優れた苗床を起こすと約束しています。
 イエス・キリストは、よい木はよい実を結ぶと言いました。
 優れた苗床からは優れた葉が出て優れた花を咲かせ優れた実を結びます。
 だから木が優れているかどうかは結ぶ実でわかります。

33 「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。34 蝮の子らよ、あなたたちは悪い人間であるのに、どうして良いことが言えようか。人の口からは、心にあふれていることが出て来るのである。

マタイによる福音書12:33-34

 口から恵みの言葉が流れ出ているなら、その人の心は神の恵みで潤されているのです。
 神は人の心さえも新しくします。
 イエスが主であることを認められるようになります。
 あなたがまことの羊飼いイエスに従うとき、あなたは恵みの実を結びます。
 そして変えられたあなたの姿を見て次世代の羊たちはあなたのようにイエスに従う者に変えられていきます。
 こうしてキリストに従って歩く群れが生み出されます。

 私たちは恵みがないと他の人を傷つけてしまいます。
 まことの羊飼いに目を向けてください。
 そうして私たちは神に従う羊の群れになっていきます。

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