創世記47

死して約束の地を得る

創世記 23:1-20

1 サラの生涯は百二十七年であった。これがサラの生きた年数である。2 サラは、カナン地方のキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンで死んだ。アブラハムは、サラのために胸を打ち、嘆き悲しんだ。3 アブラハムは遺体の傍らから立ち上がり、ヘトの人々に頼んだ。4 「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」5 ヘトの人々はアブラハムに答えた。「どうか、6 御主人、お聞きください。あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。わたしどもの中には墓地の提供を拒んで、亡くなられた方を葬らせない者など、一人もいません。」7 アブラハムは改めて国の民であるヘトの人々に挨拶をし、8 頼んだ。「もし、亡くなった妻を葬ることをお許しいただけるなら、ぜひ、わたしの願いを聞いてください。ツォハルの子、エフロンにお願いして、9 あの方の畑の端にあるマクペラの洞穴を譲っていただきたいのです。十分な銀をお支払いしますから、皆様方の間に墓地を所有させてください。」10 エフロンはそのとき、ヘトの人々の間に座っていた。ヘトの人エフロンは、町の門の広場に集まって来たすべてのヘトの人々が聞いているところで、アブラハムに答えた。11 「どうか、御主人、お聞きください。あの畑は差し上げます。あそこにある洞穴も差し上げます。わたしの一族が立ち会っているところで、あなたに差し上げますから、早速、亡くなられた方を葬ってください。」12 アブラハムは国の民の前で挨拶をし、13 国の民の聞いているところで、エフロンに頼んだ。「わたしの願いを聞き入れてくださるなら、どうか、畑の代金を払わせてください。どうぞ、受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます。」14 エフロンはアブラハムに答えた。「どうか、15 御主人、お聞きください。あの土地は銀四百シェケルのものです。それがあなたとわたしの間で、どれほどのことでしょう。早速、亡くなられた方を葬ってください。」16 アブラハムはこのエフロンの言葉を聞き入れ、エフロンがヘトの人々が聞いているところで言った値段、銀四百シェケルを商人の通用銀の重さで量り、エフロンに渡した。17 こうして、マムレの前のマクペラにあるエフロンの畑は、土地とそこの洞穴と、その周囲の境界内に生えている木を含め、18 町の門の広場に来ていたすべてのヘトの人々の立ち会いのもとに、アブラハムの所有となった。19 その後アブラハムは、カナン地方のヘブロンにあるマムレの前のマクペラの畑の洞穴に妻のサラを葬った。20 その畑とそこの洞穴は、こうして、ヘトの人々からアブラハムが買い取り、墓地として所有することになった。

サラの死

 今日は創世記23章全体を一気に話します。
 22章の終わりに系図的なものが出てきて、主役がアブラハムからイサクへと徐々に切り替わっていくという話をしました。
 場面が転換していくために、前の場面の登場人物は退場していかなければなりません。
 大河ドラマ「豊臣兄弟!」で織田信長が退場し、柴田勝家とお市様も退場…。こうして羽柴秀吉が旧織田家の主導権を握っていく。そして豊臣政権を樹立していくわけです。
 お市様の退場が悲しくて今夜の大河ドラマは見ていられないです…。
 イサクが主役になっていくには、親世代には退場していただく必要があります。まずは母親のサラから…。

約束の地は手に入れられず

 サラは127歳で亡くなりました。アブラハムが137歳、イサクが37歳の時です。
 晩年、アブラハム一家はヘブロンに滞在。そこで亡くなります。当時はキルヤト・アルバと呼ばれていました。
 何十年も夫婦として共に暮らしてきた。腹違いの妹ですから、子どもの頃から知っていたかもしれません。とすると100年以上の付き合いです。そんなにも長い間喜びも悲しみも分け合ってきた妻を失うというのは、どれほど大きな悲しみでしょう。
 思えば60年以上前。父の家を離れて信仰の旅に出た時から苦労をかけ続けた。不甲斐ない自分のせいでエジプトの王宮に入れられたこともあった。懲りずに同じ過ちを繰り返したこともあった。サラの方から提案したことではあったが、ハガルとの不適切な関係でサラを悩ませてしまったこともあった。
 それは神が子孫と土地と祝福の源という3つの約束を与えてくださっていたから。その神の約束を握りしめて、この旅を続けてきた。
 そして神はついに約束の子イサクを与えてくださった。
 べエル・シェバではアビメレクと友好な関係を築き、ペリシテ人の間で落ち着いて暮らすことができた。祝福の源になっていた。
 しかしアブラハムとサラはあくまで外国人、寄留者、旅人です。約束の地にいながら、土地を全く所有していません。
 サラは結局、この土地の約束の実現を見ずに亡くなってしまいました。
 苦労して信仰の旅を続けてきたのに、その実現を見ることができないとは残念ではありませんか。
 アブラハムはサラのために胸を打ち、嘆き悲しみました。

多くの犠牲を払っても約束の物を得られないとしたら

 私たちも神様の約束やビジョンを受け取ることがあります。
 それを握って信仰の旅を歩み出す。
 父の家を離れるように、安定した生活や慣れ親しんだ場所、親しい人たちと別れるという経験をすることもあります。
 そのような犠牲を払ったのに神様の約束の実現を見ることができないとしたら、空しい気持ちになりませんか?

寄留者

墓地探し

 悲しむ時間を十分に持つことは大事ですが、アブラハムにはしなければならない大事なことがあります。
 サラの埋葬です。
 3日も経てば遺体が腐敗してしまうので、その前に埋葬を済ませなければなりません。
 ウルやハランに行けば先祖の墓があるだろうけれど、そこまで運んではいられない。
 どこか近場で墓地を探さなければなりません。

 そこでアブラハムはこの地の住民であるヘト人に頼みました。「わたしは、あなたがたのところに一時滞在する寄留者ですが、あなたがたが所有する墓地を譲ってくださいませんか。亡くなった妻を葬ってやりたいのです。」
 アブラハムはカナンの地に移住して60年以上になります。それなのに相変わらず寄留者、よそ者。
 土地を持たないためにこのように言わなければならないことも悲しくなります。

 そんなアブラハムにヘトの人々はこのように言います。「あなたは、わたしどもの中で神に選ばれた方です。どうぞ、わたしどもの最も良い墓地を選んで、亡くなられた方を葬ってください。」
 アブラハムのことを神に選ばれた方だと言っています。
 アブラハムが良い評判を得ていたことがわかります。
 「旅の恥はかき捨て」なんていう言葉がありますが、アブラハムは旅人だからと言って現地の人に迷惑をかけるようなことはしませんでした。
 「ここは神が私に与えた約束の地だ。今すぐ出て行け!」なんてことは言いませんでした。

私たちは天国人

 聖書は私たちも旅人だと言います。私たちは今この地上に一時的に滞在する寄留者です。
 今はこの日本という国に住まわせてもらっています。
 日本の国籍を持っている方もいます。しかし別の国籍も持っています。
 それは天国の国籍。我らの国籍天にあり。帰るべき故郷が天にあります。
 イエス様が先に行って、私たちの帰る家を準備してくれています。

 そうか、私たちはこの日本に一時的に滞在しているだけなのか。
 それなら何をしてもいいや。まずくなれば国外に逃亡すればいい。
 なんて思わないでください。ペトロはこう勧めます。

11 愛する人たち、あなたがたに勧めます。いわば旅人であり、仮住まいの身なのですから、魂に戦いを挑む肉の欲を避けなさい。12 また、異教徒の間で立派に生活しなさい。そうすれば、彼らはあなたがたを悪人呼ばわりしてはいても、あなたがたの立派な行いをよく見て、訪れの日に神をあがめるようになります。

ペトロの手紙一2:11-12

 寄留者だからこそ、立派な生活を送りなさい。
 それは現地の生き方に合わせるという面もありますが、それ以上に神の国の民として立派に生きるということです。
 この世の国に流されず、天国人としてのアイデンティティを保つ。
 そうすればこの国の人たちはいつか神をあがめるようになる。これが神の約束です。

 約束の実現がいつになるかはわかりません。
 これまで日本には様々な国からたくさんの宣教師たちがやってきました。彼らはこの日本でまさに寄留者でしたが、異教との間で神の民として立派に生活をした。いつかこの国に福音が広がると信じて。
 そうしてプロテスタントの宣教が始まって150年以上。未だに1%の壁も超えられていません。
 私たちもこの地上で生きている間はその時を見ることができないかもしれません。
 それでも神の約束を握り続けてください。

天国の希望を見て

銀400シェケルで買い取る

 アブラハムは墓地にするのに良さそうな場所を知っていました。エフロンの畑の端にあるマクペラの洞穴です。そこでエフロンと交渉することを願い出ました。
 エフロンは洞穴だけでなく畑も無償で提供しますと言ってくれます。
 アブラハムが代金を払って買い取ると言うと、エフロンは銀400シェケルでどうかと提示します。
 アブラハムはそれを支払い、畑と洞穴を買い取りました。

 こういうやり取りは今も中東地域で見られます。
 売り手は無償で提供すると言う。
 買い手は代金を払って買い取ると言う。
 売り手はあえて高い値段で金額を提示する。
 買い手は値切る。
 売り手が再び金額を提示する。
 買い手が納得したら代金を支払う。
 納得できなかったら再び値切り、双方が納得できる妥当な金額を探ります。
 外国人旅行者は定額表示に慣れていますし相場を知らないので、売り手が高く設定した金額をそのまま払ってしまいます。お気を付けください。

 アブラハムもこの文化の中で生まれ育っているので大丈夫ですよね。
 と思いきや、実はこの銀400シェケル、かなり高いです。
 エレミヤがアナトトの畑を買った時は銀17シェケルでした。
 ダビデがオルナンの麦打ち場を買った時は犠牲の牛とセットで銀50シェケル。
 桁が違います。
 ちなみに銀の相場は1gあたり約385円。銀400シェケルは約4600gなので、だいたい177万円です。日本のお墓の相場で考えたら妥当な金額かもしれません。
 しかし当時のアブラハムの文化の中では、かなりの高値だと言えます。
 しかもよく読んでみると、アブラハムは最初に洞穴だけの話をしています。そこにエフロンが畑もタダであげると言い出し、アブラハムは洞穴だけでなく畑も買うことになっています。
 エフロン、商売上手だな。
 そう考えると、尚更アブラハムが損をしているように見えます。

手に入れたのは約束の地の一部

 それを知っていながらアブラハムはなぜ銀400シェケルも支払って墓地を取得したのか。
 それはアブラハム自身が納得したからに他なりません。
 この地は銀400シェケルを支払う価値がある。
 いや、それ以上の代価を支払ってでも手に入れる価値のある土地でした。
 アブラハムはただの墓地を手に入れたのではありません。
 ついに約束の地の一部を手に入れたのです。

約束の地をはるかに見て

 アブラハムが約束の地として手に入れたのは結局、このエフロンの畑とマクペラの洞穴だけでした。
 遊牧民であるアブラハムに畑はあまり意味がなく、価値があるのは墓地だけです。長い信仰の旅を続けて墓地だけしか手に入らないというのも残念な話ではありませんか。
 しかし新約聖書はこう証言します。

13 この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束されたものを手に入れませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声をあげ、自分たちが地上ではよそ者であり、仮住まいの者であることを公に言い表したのです。14 このように言う人たちは、自分が故郷を探し求めていることを明らかに表しているのです。15 もし出て来た土地のことを思っていたのなら、戻るのに良い機会もあったかもしれません。16 ところが実際は、彼らは更にまさった故郷、すなわち天の故郷を熱望していたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。神は、彼らのために都を準備されていたからです。

ヘブライ人への手紙11:13-16

 アブラハムは墓地しか得なかった。
 しかし約束の物をはるかに見て喜びの声をあげた。
 アブラハムが見ていたのはただの墓地ではない。ただの土地ではない。神の国です。
 アブラハムには天国の希望がありました。

マムレ

 この墓地はカナン地方のマムレの前のマクペラの畑の洞穴だと記されています。
 神はアブラハムがロトと別れた後、「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見える限りの土地をすべて、あなたとあなたの子孫に与える。…この土地を縦横に歩き回るがよい。わたしはそれを与えるから。」と言われました。
 アブラハムが広大なカナンの地を見渡し、歩き回ってたどり着いた場所がヘブロンにあるマムレの樫の木のところでした。
 ここはアブラハムとサラが約束の地を見渡し、歩き回ってたどり着いた場所。
 2人家族になって最初に住んだ場所でもあります。
 そんな夫婦の思い出の地をアブラハムは手に入れることができました。

死さえも希望を奪うことはできない

 神様の約束をいただきながら、それを受け取ることができなかった信仰の先輩たちがたくさんいます。
 モーセは神の民を連れて約束の地に入ろうとしました。その直前、ピスガの山頂から約束の地を見渡しますが、そこで死にます。モーセの死後、ヨシュアに率いられて神の民は約束の地に入っていきます。
 公民権運動を進めたキング牧師はその夢の実現を見ずに命を落とします。今も人種差別はなくなっていませんが、その夢を継ぐ人たちが今も戦い続けています。
 多くの宣教師たちもそうです。
 彼らは神の約束の実現を見ずに地上の人生を終えていきました。
 しかし死さえも彼らの希望を奪うことはできませんでした。
 死の力を打ち破った復活の主イエス・キリストが共にいるからです。

 神様は私たちにも約束を与え、ビジョンを見せます。
 その実現を見ることはできないかもしれません。
 それでも約束を握り続けてください。
 ビジョンを見続けてください。
 神様に目を向けるなら、その約束の実現をはるかに見て喜ぶことができます。
 私たちも地上では旅人。故郷は天にあります。
 私たちも天国の希望をもって信仰の旅を続けていこうではありませんか。


0件のコメント

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください