創世記33
命の主からの約束
創世記 17:15-27
15 神はアブラハムに言われた。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。16 わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。わたしは彼女を祝福し、諸国民の母とする。諸民族の王となる者たちが彼女から出る。」17 アブラハムはひれ伏した。しかし笑って、ひそかに言った。「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」18 アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように。」19 神は言われた。「いや、あなたの妻サラがあなたとの間に男の子を産む。その子をイサク(彼は笑う)と名付けなさい。わたしは彼と契約を立て、彼の子孫のために永遠の契約とする。20 イシュマエルについての願いも聞き入れよう。必ず、わたしは彼を祝福し、大いに子供を増やし繁栄させる。彼は十二人の首長の父となろう。わたしは彼を大いなる国民とする。21 しかし、わたしの契約は、来年の今ごろ、サラがあなたとの間に産むイサクと立てる。」22 神はこう語り終えると、アブラハムを離れて昇って行かれた。23 アブラハムは、息子のイシュマエルをはじめ、家で生まれた奴隷や買い取った奴隷など、自分の家にいる人々のうち、男子を皆集めて、すぐその日に、神が命じられたとおり包皮に割礼を施した。24 アブラハムが包皮に割礼を受けたのは、九十九歳、25 息子イシュマエルが包皮に割礼を受けたのは、十三歳であった。26 アブラハムと息子のイシュマエルは、すぐその日に割礼を受けた。27 アブラハムの家の男子は、家で生まれた奴隷も外国人から買い取った奴隷も皆、共に割礼を受けた。
先週はイ・ユンファさんが来てくださり、大変感謝な時間を過ごしました。
新しい人が来たり久しぶりの人が来たり。お昼のタコライスも美味しかったですね。
バイブルカフェも賛美と食事で恵まれ感謝でした。
ユンファさんのおかげで、たくさん美味しいものをいただく機会が与えられました。
ちょっと食べ過ぎで胃が大変です。
今日もお昼はブラジル料理が準備されていて、胃が大丈夫か心配です。
ここで突然ですが問題です。
記録上、世界で最初に「イ」を取ったのは誰でしょう?
「イ」を取るというのは大変なことですよ。
正解はサラです。
「サライ」から「サラ」になりました。
主が命を与える
先々週はアブラムに「ハ」が入ってアブラハムになったという話をしました。
名前が変わったことも重要なのですが、大事なのは割礼です。神はアブラハムに永遠の契約のしるしとして割礼を受けることを命じました。
この契約はアブラハムだけでなく、その子孫、一族に受け継がれていきます。アブラハムというの名の通り、彼は多くの国民の父となり、神の民が増え広がっていくのです。
サラが男の子を産む
子孫と言われた時、アブラハムの心にあったのはイシュマエルのことです。
サライの奴隷ハガルとの間に与えられた男の子。当時の慣習では、奴隷の子も正式な跡取りにすることができます。
イシュマエルも13歳になりました。もう安心です。
ところが神はこう言います。「あなたの妻サライは、名前をサライではなく、サラと呼びなさい。わたしは彼女を祝福し、彼女によってあなたに男の子を与えよう。」
妻サライも神との新しい関係に入り、サラという新しい名前が与えられる。
そしてサラによってアブラハムに男の子が与えられると言います。
これまでも子孫の約束は繰り返し語られてきました。
なかなか与えられないので召し使いを養子にしようとしたら、自分の子が跡を継ぐと。
サライとの間には子が与えられなかったので、ハガルを第2夫人にした。
これでイシュマエルが生まれ、約束は成就したと思っていた。しかしイシュマエルは神の約束によって生まれた子ではなく、人間の計画によって生まれた子でした。
アブラハムに子孫を与えるという神の約束は、他の誰でもなく妻サラとの間に成し遂げられるのです。
祈るのは自分の理解できる範囲の祝福
この神の言葉を聞いてアブラハムはその場にひれ伏しました。
自分の思いをはるかに超えた神のご計画の前に、顔を上げることができません。
うつむき、神様から目線を逸らし、
彼はひそかに笑いました。
「いやいや、遅すぎるって。サラとの間に子を産むことをずっと願ってきましたよ。でもあなたは与えてくださらなかったじゃないですか。今からだったらもう私100歳ですよ。サラは90歳。この体じゃ無理です。一体どうやって…。」
それでアブラハムは「どうか、イシュマエルが御前に生き永らえますように。」と願いました。
どうやって実現できるかわからない神の約束ではなく、実際的に自分が求めているところを祈ったのです。
男の子の名前はイサク
すると神は、約束をさらに明確にします。「いや、イシュマエルではない。あなたとあなたの妻サラとの間に男の子が生まれる。その子をイサクと名付けなさい。」
子どもの名前まで神が指定しています。
神様の中で、アブラハムとサラとの間にイサクという男の子が産まれるということは揺るぎない決定事項だということです。
疑いながらも神を求める
「百歳の男に子供が生まれるだろうか。九十歳のサラに子供が産めるだろうか。」というのはもっともな疑問です。特に女性の方は年齢を重ねると、赤ちゃんができる体ではなくなります。90歳のサラには明らかに不可能。
しかし神はサラが男の子を産むと言う。
アブラハムはこうした疑問を抱きながら、エル・シャダイである神を見上げます。
先週見たトマスのように、疑いながら神を求めることは大事なことです。
神にできないことは何一つない

サラの体は新しい命を生みだす能力を失っています。
しかし神には、命を与える力があります。
土の塵に過ぎなかった私たちに命を与えてくださったのは神ではありませんか。
命の主が高齢女性に子を与えてくださるのなら、逆に未婚のおとめが身ごもることも不可能ではありませんね。
神にできないことは何一つない
ルカによる福音書1:37
天使ガブリエルがマリアに告げた言葉を、皆さんも心に留めておいてください。
神はイシュマエルについての祈りも聞く
神様は約束の子イサクの誕生を計画していました。
イシュマエルは約束の子ではなく、人間の計画によって生まれた子です。
すると神はイサクを特別に愛され、イシュマエルには無関心なのでしょうか。
いいえ。イシュマエルについての祈りも神は聞いています。神に見守られています。
すべての命が大切な命
道具には色々な役割がありますね。
日常使う道具があれば、特別な時に使う道具があります。
華やかな場面で使う道具、汚いところで使う道具もあります。
礼拝の時はこうしてスーツを着ています。これは特別な時に着る服です。
ずっとスーツだと疲れてしまいますから、家ではもっと楽な服を着ます。
家の中には汚れたところを掃除する道具があります。
汚いものだからいらないと掃除道具まで捨ててしまったらどうなるでしょう。家全体が汚くなります。
汚いところで使う道具も、なくてはならない大切な存在です。
神様の計画の中でイサクは確かに特別な役割が用意されていますが、イシュマエルや他の人たちにもそれぞれの役割があります。
すべての命は神から与えられたものであり、神は人を分け隔てしません。
すべての命が、大切な命。
神の家の中で、すべての人がなくてはならない大切な存在です。
約束の子孫でなくても神の子とされる
約束によるアブラハムの子孫は特別に選ばれた民です。
彼らだけでなく私たちも神によって選ばれ呼び出されました。
23 神はわたしたちを憐れみの器として、ユダヤ人からだけでなく、異邦人の中からも召し出してくださいました。24 ホセアの書にも、次のように述べられています。「わたしは、自分の民でない者をわたしの民と呼び、/愛されなかった者を愛された者と呼ぶ。25 『あなたたちは、わたしの民ではない』/と言われたその場所で、/彼らは生ける神の子らと呼ばれる。」
ローマの信徒への手紙9:23-25
私たちもキリストにあって神に選ばれ、神の子とされています。
信仰共同体の誕生
神はイシュマエルについての祝福を語り、サラが男の子を産むともう一度約束します。
しかも来年の今ごろだと。
神様の約束はさらに具体化します。
そして神は去って行きました。
割礼を受ける
その日アブラハムは割礼を施しました。割礼を命じられたまさにその日に。
こうして神の民が誕生します。
アブラハムの子孫が神の民となるわけですから、神の民を形成する上で約束の子イサクの誕生は欠かせない出来事です。
しかしアブラハムはその日が来る前に、神の民の誕生を信仰の目で見ていました。
こうして先に信仰の共同体ができていたことで、イサクはそこで信仰を受け継いでいきます。
教会から新しい命が生み出されていく
神様は今、私たちにも信仰の共同体を与えています。それが教会です。
教会はイエス・キリストにつながるすべての人の集まりであり、地域ごとに集められた信仰の共同体でもあります。
後者の目に見える教会から、次の世代の信仰者が生み出されていきます。
命の主が、新しい命を与えてくださいます。
私たちは教会で信仰生活を送りながら、どのようなことを祈り求めるでしょうか。
アブラハムがイシュマエルの祝福を祈ったように、自分の理解できる範囲での幸いも祈り求めますね。もちろん神はこのような祈りを聞いてくださいます。
しかしもっと大きな信仰をもって祈っていいです。
神様の約束を握りしめて、自分の思いをはるかに超えて偉大なことを成し遂げる神様に祈り求めてください。
神様がここから新しい命を生み出させてくださる。
神の民が海辺の砂のように、夜空に輝く星のように、この地に増え広がっていく。
そのように大きなビジョンをもって祈り、新しい命を生み出していく教会でありたいと願います。



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