創世記32
永遠の契約のしるし
創世記 17:1-14
1 アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。 「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。 2 わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」 3 アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。 4 「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。 5 あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。 6 わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。 7 わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。 8 わたしは、あなたが滞在しているこのカナンのすべての土地を、あなたとその子孫に、永久の所有地として与える。わたしは彼らの神となる。」 9 神はまた、アブラハムに言われた。 「だからあなたも、わたしの契約を守りなさい、あなたも後に続く子孫も。 10 あなたたち、およびあなたの後に続く子孫と、わたしとの間で守るべき契約はこれである。すなわち、あなたたちの男子はすべて、割礼を受ける。 11 包皮の部分を切り取りなさい。これが、わたしとあなたたちとの間の契約のしるしとなる。 12 いつの時代でも、あなたたちの男子はすべて、直系の子孫はもちろんのこと、家で生まれた奴隷も、外国人から買い取った奴隷であなたの子孫でない者も皆、生まれてから八日目に割礼を受けなければならない。 13 あなたの家で生まれた奴隷も、買い取った奴隷も、必ず割礼を受けなければならない。それによって、わたしの契約はあなたの体に記されて永遠の契約となる。 14 包皮の部分を切り取らない無割礼の男がいたなら、その人は民の間から断たれる。わたしの契約を破ったからである。」
早い人はもうゴールデンウィークですね。
浜松でゴールデンウィークと言えば、浜松まつり。今も毎晩ラッパの練習の音が聞こえてきます。
来週がちょうど初日ですが、大河ドラマで徳川家康を演じる松下洸平さんがパレードに出るそうです。
その徳川家康が入れ歯をしていたというのはご存じでしょうか。
当時はツゲなどの木でできていました。ちゃんと噛めるんですね。
お口の健康が、天下人の長寿を支えていたのかもしれません。
さて、ここで問題です。
記録上、世界で最初に「ハ」を入れたのは誰でしょう?
正解はアブラハムです。
元はアブラムという名前でしたが、「ハ」が入りましたね。
エル・シャダイ
1ヶ月ぶりにアブラムの話に戻ります。
アブラムは神を信じ、義と認められました。
神様は目に見えるかたちで契約を結び、約束を確かにしました。子孫、土地、祝福の源という3つの約束ですね。
ところがサライとの間に子どもが与えられなかったアブラムは、女奴隷ハガルと不倫してイシュマエルが生まれます。
それから13年が経ちました。アブラムは99歳。イシュマエルは13歳。まだ子どものような年に感じますが、ヘブライ人の男の子は13歳で成人です。立派に成長したイシュマエルを見てアブラムは安心したかもしれません。
弱い人間と全能の神
そこで主なる神様が13年ぶりにアブラムに現れて言います。
「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」
主は全能の神。ヘブライ語でエル・シャダイです。
満ち足りているところの神と訳すことができます。あらゆる力と智恵に満ち足りている神にはすべてが可能。神にできないことは何一つありません。
またエル・シャダイは山の神と訳すことができます。神の約束を信じたり迷ったりコロコロ移り変わる人間と、変わらない神を対比しているのかもしれません。
全き者になりなさい
そのエル・シャダイである神が招きます。「あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。」
全き者とはどのような人でしょうか。
完全な人?スポーツ万能で頭も良く、ユーモアもあり、お金持ちで高身長のイケメン?
いや、そんなこの世の基準で全き者になれと言っているのではありません。
求められているのは、神に従って歩む全き者です。
つまり聖書をよく読み、絶えず祈り、礼拝を休まずささげ、奉仕や献金を忠実にささげる信仰者になれということでしょうか。
ここではそういう行いよりむしろ心の面、信仰面の話のようです。
同じ単語が創世記の中でもう1ヶ所使われていました。
それは創世記6章9節、ノアについて語る場面です。当時の人が皆、悪いことばかり考えている中で、ノアだけは神を信頼し続けました。
アブラムも神を信頼し、全能の神が約束を果たすと変わらずに信じ続けることが求められているのでしょう。
神の子として生きる
イエス様も山上の説教で同じような招きをしています。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」
マタイによる福音書5:48
これは「敵を愛しなさい」という話の結論として言われた言葉です。
天の父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、雨を降らせてくださる。
だから自分を愛してくれる人だけでなく、そうでない人も愛しなさい。
それが神の子とされた人の生き方です。
私たちもそこに招かれています。
私たちは弱く、揺れ動きます。
しかし全能の神が約束を果たしてくださると信じて従いましょう。
そして神の子として、キリストの模範に従って歩むのです。
アブラハム
神の招きに従うということは、古い生き方から離れて新しい生き方を始めるということでもあります。
神はアブラムとの契約を思い起こさせ、両者の関係をより深く、広く発展させようとしています。
神とアブラムとの関係の深まり
神はアブラムとの関係を深めます。
神はエル・シャダイというご自分の1つの呼び名を明らかにし、アブラムに新しい名を授けます。
友だちとの関係でも、最初は「○○さん」と名字で呼んでいたのが、親しくなってくると下の名前で呼んだりしますね。
そして友だち同士の新しい名前、ニックネームで呼ぶようになります。
だいたい名前を省略することが多いですね。アブラムだったら、アブちゃんでしょうか。
ここで神様がアブラムにつけた名前はアブラハム。
「ハ」が入りました。
長くなってる!
これにはちゃんと意味があります。
アブラムというのは「高められた父」という意味。
アブラハムは「多くの民の父」です。
神の約束の通り、「あなたは多くの国民の父だ」と呼ばれるわけです。
諸国民、王が出る
神は子孫の約束をより具体化し、アブラムの子孫から様々な民族が生まれること、そして王が出ると預言します。
実際、アブラハムの子孫からアラブ人が生まれ、神の民イスラエルが生まれ、ユダヤ人が出てきます。
そしてダビデやソロモンといった王が出てきました。
新約聖書の一番最初に、その系図が記されています。
そのダビデの子孫として、王の王、主の主であるイエス・キリストにつながるわけです。
アブラハムはまさしく多くの国民の父です。
アブラハムはすべての信仰者の父
神はアブラハムの子孫が海辺の砂のように、夜空の星のように増え広がると約束しました。
この約束を信じて従うように求められています。
この信仰で生きたアブラハムの子孫たちは、やがて約束の地を受け継ぐことになります。
アブラハムは信仰の父であり、アブラハムの子孫とは血筋ではなく、信仰を受け継ぐ者だという点が重要です。
私たちもまた信仰に生きる者です。
異邦人である私たちは血筋で言うとアブラハムの約束と何の関りもありません。神から遠く離れていました。
しかしこのような私たちのために御子イエス・キリストが十字架で死なれ復活されたと信じています。
この恵みにより、信仰によって救われました。私たちもただ信仰で義と認められました。
このことについてパウロはこう言っています。
従って、信仰によってこそ世界を受け継ぐ者となるのです。恵みによって、アブラハムのすべての子孫、つまり、単に律法に頼る者だけでなく、彼の信仰に従う者も、確実に約束にあずかれるのです。彼はわたしたちすべての父です。
ローマの信徒への手紙4:16
私たちもアブラハムの約束を受け継ぐ者、神の民です。
割礼
このように神とアブラハムとの関係は深まるだけでなく、横に広がっていきました。
その広がりは今日の本文の中にも表れています。
神との関係が家全体に広がる
神はアブラハムとだけ契約を結ぶのではなく、その子孫にも受け継がれ、奴隷も含めたすべての男に及ぶのだと言います。
そして契約のしるしとして、ある儀式を受けるように命じました。
それが割礼です。
割礼というのは普段使わない言葉なので説明が必要ですが、あまり詳しく話すと生々しいので説明が難しいです。
要は、男の子のアソコの先っちょが皮で覆われています。そこを切り取っちゃうんですね。考えただけで縮こまっちゃいます。
男の子が生まれたら、8日目にこの儀式をします。
この皮膚は再生しないので、一生そのままです。
神の民として生きる
後にユダヤ人たちは、この割礼によって自分たちと異邦人を区別しました。神との永遠の契約のしるしを身に付けた自分たちは、選ばれた神の民なのだと。
確かに契約のしるしの有り無しで他と区別されます。
しかし神の民はすべての民の祝福の源であって、他者と共に生きることが求められています。それが、神が与える約束の地、神の国のあり方ですね。
契約のしるしを身に付けた神の民は、神の民として生きなければならないのです。
キリストの割礼
永遠の契約のしるしを身に付ける。
私たちは割礼をしませんが、違うかたちで身に付けるものがあります。
たとえば結婚指輪。
結婚の時に「私は病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまであなたを愛します。」と誓約して、指輪を交換しますね。
体質や体型の理由で身に付けられない人もいますが、この指輪の存在によって、永遠の愛を誓ったことを思い起こします。
もっと身近な例で言うと、皆さんのお腹にはへそがありますね。
これはあなたをお腹の中で養ってくれた方がいたことのしるしです。あなたが誰の子であるかを思い起こさせます。
親子の関係は様々な問題が起こることもありますが、あなたを愛し、あなたのために大変な痛みと労苦をしてくださった方がいることは間違いありません。
そして今、私たちには十字架という永遠の契約のしるしが与えられています。
キリストの割礼を受け、神の民とされました。
十字架を見上げる度に私たちは、古い人はキリストと共に死んで葬られ、今は復活の主と共に新しい命に生かされていることを覚えます。
エル・シャダイ。全能の神が私たちを招きます。
変わらない神を信頼し、神と共に歩みなさいと。
私たちはアブラハムの信仰に倣う神の民。
そしてキリストに倣う神の子。
私たちは天のお父さんが人を分け隔てなく愛されたように、愛に生きることが求められています。
私たちを通して神の愛がこの世界に表され、神の国が広がっていきます。



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