創世記講解53
目先の利益と永遠の損
創世記 25:27-34
27 二人の子供は成長して、エサウは巧みな狩人で野の人となったが、ヤコブは穏やかな人で天幕の周りで働くのを常とした。28 イサクはエサウを愛した。狩りの獲物が好物だったからである。しかし、リベカはヤコブを愛した。29 ある日のこと、ヤコブが煮物をしていると、エサウが疲れきって野原から帰って来た。30 エサウはヤコブに言った。「お願いだ、その赤いもの(アドム)、そこの赤いものを食べさせてほしい。わたしは疲れきっているんだ。」彼が名をエドムとも呼ばれたのはこのためである。31 ヤコブは言った。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」32 「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」とエサウが答えると、33 ヤコブは言った。「では、今すぐ誓ってください。」エサウは誓い、長子の権利をヤコブに譲ってしまった。34 ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えた。エサウは飲み食いしたあげく立ち、去って行った。こうしてエサウは、長子の権利を軽んじた。
遊ぶ金欲しさに人生を棒に振る
2023年1月、東京都狛江市の住宅で、住民の90歳の女性が遺体で発見されました。手足は結束バンドで縛られ、激しい暴行の跡がありました。住宅内は荒らされ、高級腕時計やダイヤモンドの指輪などがなくなっていました。強盗殺人事件です。
この事件の実行役の1人として逮捕されたのがN被告(当時21歳)。彼は石川県で土木作業員として働いていましたが、競艇の資金を得るために借金を重ねていました。
それでSNSで「闇バイト」「高収入」と検索。「kim」を名乗る人物とつながりました。kimはルフィ広域強盗事件の指示役の1人です。
Nはkimの指示に従い、窃盗や強盗を繰り返しました。そのうち、kimから実行役のリーダーに任されます。狛江市の事件でもNはリーダーとして他の実行役に指示を出すなどしていました。女性をバールで殴るよう指示したのもNです。
強盗致死罪で起訴されたNには無期懲役の判決が下されました。
かつては人の役に立ちたいと介護のボランティアをしていた若者が、遊ぶ金欲しさに高齢女性を死なせる。目先の利益を求めて、彼は人生を棒に振ってしまいました。
目先の利益を求める
今日の本文はエサウとヤコブの青年時代。
彼らは双子ですが、正反対の性格に育っていきます。
エサウは狩りが得意な野の人。活動的な性格で、目の前の獲物を追いかける現実的なタイプです。
ヤコブは静かな性格で、テントの周りで働きました。
普段は穏やかに過ごしていますが、心の内には不満を抱えていたようです。
父親のイサクはエサウの方を愛しました。エサウが捕ってくる獲物が好物だったからです。
同じ日に同じ親のもとに生まれたのに、お父さんは自分よりお兄さんを愛している。
長子として財産を受け継ぐのも兄の方。不公平だ。
そのような不満です。
母親のリベカはそんなヤコブの方を愛しました。それは「兄が弟に仕えるようになる」という神の約束も関係しています。
一杯のスープのために長子権を譲る

ある日、ヤコブはレンズ豆で煮物を作っていました。赤レンズ豆という種類でしょうか。皮を取り除いて煮込むととろみのあるポタージュのようなスープができます。
そこにエサウが野原から帰ってきました。一日中獲物を追いかけ、疲れ切っています。それでヤコブに「お願いだ、その赤いもの、そこの赤いものを食べさせてほしい。」と頼みました。
ヤコブはこのスープを自分一人で味わうために作っていたわけではないでしょう。家族のために作っていたと思います。エサウだって家族のために狩りをしている。それなら家族のために働いた兄弟のために喜んでスープを差し出しますよね。
ところがヤコブは、一杯のスープと引き換えにある要求をエサウにします。「まず、お兄さんの長子の権利を譲ってください。」
長子の権利は、将来的に父の遺産を2倍受け継ぐというもの。
父イサクは族長ですから、族長の地位も継ぐことになります。受け継ぐ財産の差も大きくなります。
この長子権は兄弟間で譲り渡すことができたようですが、当然代償が必要です。ある契約では、羊3匹で譲ったという記録があります。族長の家の長子権なら、もっと多くの代償がいるでしょう。
それを一杯のスープで譲るなんて滅茶苦茶な提案です。
ところがエサウは「ああ、もう死にそうだ。長子の権利などどうでもよい」と言って長子権をヤコブに譲ると誓ってしまいました。そしてパンとスープを食べるとそこを立ち去ってしまいます。
エサウは長子権を軽んじました。
神の祝福も手放した
ヤコブは静かにこの機会を狙っていました。
どうにかして自分が長子の権利を勝ち取りたい。兄のかかとをつかんで生まれてきた彼の執念です。
それで短絡的な兄の弱点を突いて、長子権を一杯のスープで勝ち取りました。策士です。
ヤコブのこういう自分の知恵を頼って欲しいものを勝ち取る姿も良くないのですが、今日はそこには目をつぶります。また後で痛い目にあいます。
今日はエサウに注目することにしましょう。
エサウについて聖書はこう言っています。
また、だれであれ、ただ一杯の食物のために長子の権利を譲り渡したエサウのように、みだらな者や俗悪な者とならないよう気をつけるべきです。
ヘブライ人への手紙12:16
みだらな者、俗悪な者の代表者です。
目先の利益を追い求め、長子権という将来の祝福を失ったからです。
この家にとって長子権とは、財産の話だけではありません。アブラハム、イサクと続く神からの祝福を受け継ぐことを意味しています。
エサウは目先の利益のために、神の祝福さえも手放したのです。
後にエサウの子孫はエドム人と呼ばれるようになります。
その由来は赤(アドム)です。
赤いスープで神の祝福を捨てたことで、子孫までその呼び名を背負うことになります。
一時の欲望のために神を捨てる人間の罪
人は一時の欲望を満たすために神を捨て、祝福を手放します。
聖書の中にそのような例がたくさん出てきます。
イスカリオテのユダは銀貨30枚で主イエスを売りました。
ポンテオ・ピラトは自分の立場を守るために罪なきお方を十字架で殺しました。
ダビデは美しいバト・シェバに心を奪われ、姦淫しました。
このように人間は目先の富や名誉、快楽に心を奪われて神を捨て、殺してしまう。
その始まりはアダムです。
善悪を知る木の実を食べてはならないと神から命じられていました。
しかしおいしそうに目を引き付け賢くなれそうだったので、アダムは食べてしまいました。
一つの木の実と引き換えに、神を捨てたのです。
あらゆる人が受ける誘惑
キリストも誘惑にあわれた
私たちも物欲、名誉欲、性欲などに悩まされます。食欲や睡眠欲なども…。
他の人のものに手を出してしまう。
プライドやメンツを守るために虚勢を張る。
性欲に負けて痴漢や盗撮などの犯罪に手を染めたり、ポルノを見たり。
日々襲ってくる欲望に負けてしまうと、愚かなことをしてしまいます。
このような戦いは人間なら誰しも経験することです。
人となられた神イエス・キリストも例外ではありません。
イエス・キリストも誘惑にあいましたが、罪を犯すことはありませんでした。
イエス・キリストは40日間断食をした後、荒野で悪魔の誘惑を受けました。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」
40日間何も食べていませんから、お腹はペコペコ。
御子イエスなら石をパンに変えることもできます。
しかしイエス様は神の力を自分の欲望を満たすために使うことはありませんでした。
そして「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」という聖書の言葉を引用して誘惑を退けました。
私たちも誘惑にあいます。そこから逃れる道も打ち勝つ力もイエス様が与えてくださいます。
目先の問題ではなく神を見よ
今日の本文でエサウは「ああ、もう死にそうだ」と言っていますが、死にはしません。
イエス様は40日間断食したんですよ。屈強なエサウが一食抜いたくらいで死ぬものですか。
しかし目先の誘惑に惑わされたエサウは、本当に死にそうだと思ってしまった。
目先のことを考える人には、目先の問題が大きく見えます。
今これを手にしないと生きていけない。
この立場を失ったら死ぬ。
このムラムラを解消しないと狂ってしまう。
そんなことはありません。
一歩離れて冷静になると、ちっぽけな問題ですよ。
神様の目から見たら、私たちの思い煩いなど大した問題ではない。
だから私たちに必要なことは、神様を知ることです。
何よりもまず神の国と神の義を求めてください。
キリストには代えられません
世の宝も富も塵あくた
神様は祝福として私たちに様々な物を与えてくれます。財産、地位や名誉。
それは良いものですが、執着してはいけません。
パウロは由緒正しい家柄に生まれ、高い学歴を持ち、宗教的に立派な行いで評判も良かった。
宝物のようなこれらのものが、キリストを知った後はゴミのようだと言います。
7 しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。8 そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、
フィリピの信徒への手紙3:7-8
この世のどんな宝も富も、キリストには代えられません。
この世で目先の利益を得ることより、天においていのちの書に名が記されていることを喜んでください。
イエスを主と信じ永遠の命をいただいたなら、この世で富を得られなくても、損失があっても、天には永遠の祝福が用意されています。
この世で失うものがあっても、それは小さなものです。
目先の利益を求めて神を捨てるなら、それこそ大きな損失です。
この世で握っているものを手放し天の祝福を求めよ
私たちはこの世で富、名誉、快楽を手に入れようとします。
エサウのようなみだらな者、俗悪な者にならないでください。
むしろこの世で握りしめているものを手放してください。
まず神様の祝福を慕い求めてください。
私たちが握っている手を開くなら、神様はそこに祝福を満たしてくださいます。
神様は私たちを祝福したいのに、私たちの手がつまらないものでいっぱいだったら、祝福を受け取れません。
イエス・キリストを知るとき、私たちは本当に豊かな者、幸いな者です。

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