国を強くした人たち

歴代誌講解45

国を強くした人たち

歴代誌下 11:1-4, 13-17

1 レハブアムはエルサレムに帰ると、ユダとベニヤミンの家からえり抜きの戦士十八万を召集し、イスラエルに戦いを挑み、王国を奪還して自分のものにしようとした。2 しかし、主の言葉が神の人シェマヤに臨んだ。3 「ユダの王、ソロモンの子レハブアム、およびユダとベニヤミンにいるすべてのイスラエル人に言え。4 『主はこう言われる。上って行くな。あなたたちの兄弟に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。』」彼らは主の言葉を聞き、ヤロブアムに向かって行くことなく帰って行った。

13 イスラエル中の祭司とレビ人は、そのすべての領土からレハブアムのもとに集まって来た。14 レビ人が自分の牧草地と所有物を捨ててユダとエルサレムに来たのは、ヤロブアムとその子らが彼らを遠ざけ、主の祭司であることをやめさせたからである。15 ヤロブアムは、聖なる高台、山羊の魔神、自ら造った子牛に仕える祭司を自分のために立てた。16 またレビ人に続いて、イスラエルのすべての部族の中から、イスラエルの神、主を求めようと心を定めた者たちが、エルサレムに出て来て、先祖の神、主にいけにえをささげた。17 彼らは三年間ユダの国を強くし、ソロモンの子レハブアムを支援した。彼らが三年の間ダビデとソロモンの道を歩んだからである。

家庭を支えるもの

 昨日は妹の結婚式に参列してきました。コロナで延期が続き、ようやく結婚式を挙げられました。
 1年以上延期されたこともあって、式には多くの親戚も参列しました。
 披露宴で母のお兄さん、私たち兄妹から見ると伯父さんが、3年前に始めたというオカリナの演奏もしてくれました。
 演奏の後で伯父さんが挨拶しました。「コロナ禍であってもこのように祝ってくれる人たちがいたことを覚えていてほしい」と言っていたことが心に残っています。

 「男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる」と結婚の原則が語られます。
 親から自立した一人前の男女が結婚するわけですが、それは親と縁を切って孤立するのとは全く違います。
 愛することと愛を受け取ることができる人が本当に自立した人です。
 夫婦で互いに愛し合い、親族や友人と支え合ってこそ、自立した家庭を築くことができます。
 だから結婚式に参列し誓約を見届けた人たち、披露宴でお祝いしてくれた人たち、参列できなくてもお祝いの言葉をかけてくれた人たちの存在が、家庭を建て上げていくために大切な支えになります。

 妹の家族はこれから九州で生活を始めるということなので、私が直接彼らを支えることは難しいかもしれませんが、祈りで支えていきたいと思います。
 祈りの支えは重要です。
 神に従う人の存在が、家庭を、町を、国を強くするからです。

神に従う人の存在がその場所を守る

 今日の本文はレハブアムの治世の前編です。
 12部族によるイスラエル王国は、10部族の北イスラエル王国、2部族の南ユダ王国に分裂してしまいました。
 南ユダ王国のレハブアム王からすると、ヤロブアムと10部族がダビデ王朝に反逆したかたちです。
 奪われた領土を回復するために、18万人の軍勢を率いて北イスラエルに戦いを挑もうとしました。

神の言葉を語る者と聞き従う者

 しかし彼らは戦うことなく帰ってきます。
 預言者シェマヤを通して「上って行くな。あなたたちの兄弟に戦いを挑むな。それぞれ自分の家に帰れ。こうなるように計らったのはわたしだ。」という主の言葉が語られたからです。
 レハブアムたちは主の言葉に聞き従い、戦争は回避されました。
 もしここで戦争が起きていたら数で劣る南ユダ王国は敗れ、北イスラエルかエジプトによって滅ぼされたかもしれません。
 戦争を止めて国力の強化に努めたことで、300年以上続く南ユダ王国の基礎が造られました。
 これは「行くな、戦うな、帰れ」という神の言葉を伝えた預言者と、それに聞き従った王と兵たちによって成し遂げられたことです。

世界の祝福の源

 エジプトとその周辺に7年間の飢饉が襲った時、エジプトの総理大臣であったヨセフの知恵によって人々は食べ物を得ることができました。ヨセフは夢で主が示してくださったことに従いました。
 悪を行っていたニネベの人々はヨナの伝えた神の言葉を聞いて悔い改め、悪を離れました。
 神に従う人たちによって人々が助けられ、街が守られ、国が繁栄します。このような例は聖書の中に多くあります。
 そして神は、神の民が置かれた場所の祝福を祈ることを求めています。

わたしが、あなたたちを捕囚として送った町の平安を求め、その町のために主に祈りなさい。その町の平安があってこそ、あなたたちにも平安があるのだから。

エレミヤ書29:7

 南ユダ王国は結局バビロンに侵略され、民は捕囚として連れて行かれます。
 しかし連れて行かれたその町の平安を祈れというのです。

 私たちは世界の祝福の源です。
 置かれた場所がどこであれ、自分が行きたいと願った場所でないとしても、その場所の祝福を祈る責任があります。
 神に従う1人の存在が、その地を変えます。

生活の場のために祈る

 私たちが住む国や町のために祈ってください。職場や学校のために祈ってください。そして家庭のために祈ってください。
 そこで福音を伝えてください。あなたの生き方を通してイエス様の愛を表すのです。そして機会が与えられたら大胆に、あなたが出会ったイエス様のことを紹介してください。
 そのように神に従うあなた1人の存在によって、家庭が、職場や学校が、この町、この国が守られます。
 家族を愛していますか。友だちを愛していますか。国を愛していますか。
 それならばまず神に従ってください。

家族を愛するからこそ神に従う

 たとえば家族を愛し支えると言うときに、どのような支援ができるでしょうか。
 今月はこどもの日や母の日など家族に愛を表現する日がありますね。
 一緒に時間を過ごすというのも大切な愛の表現です。可能ならば家族のために時間をささげてください。
 経済的な支援もあるでしょう。離れていて一緒にいられないなら、仕送りやプレゼントで支えることもできます。
 困ったことがあれば、あなたの手や足を使い、汗を流して支えることもできるでしょう。
 これらはすべて大切です。
 それ以上に大切なことをイエスは大胆に教えます。

わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。

マタイによる福音書19:29

 捨てるというのは見捨てるということではなく、他のものより後回しにするということです。
 家族や仕事よりも、イエス様を優先しなさいという意味です。
 家族のために時間やお金や労力をささげることは当然大事なのだけれど、それよりまず神様を優先するのです。
 そのとき、家族にも仕事にも100倍の祝福があります。
 一番の愛の表現は、あなたが神に従うことです。

あなたへの神の言葉に聞き従う

 神様はあなたに何を語っていますか。
 どこに行くな、何と戦うな、どこに帰れと言うのか。
 その環境にあなたを置いたのは神だ。そこから逃げてどこに行くのか。行ってはいけない。
 あなたが怒り憎しみを抱くその相手は、あなたがまず謝るべき相手、愛すべき相手ではないのか。戦ってはならない。
 あなたが本来いるべき場所、神が遣わす場所はどこだ。そこに帰りなさい。
 その言葉に聞き従ってください。

主を求めようと心を定める

 今日の本文の後半では、祭司とレビ人などが南ユダに移住してくる話が書かれています。

主を無視し続けたヤロブアム

 その背景には、北イスラエルの王になったヤロブアム王が祭司を勝手に立てたことが背景にありました。
 北イスラエルを建国したばかりなので、どうにかして民をまとめなければなりません。ヤロブアムはそのために宗教を利用しました。
 民は主を礼拝するために南ユダのエルサレムにある神殿に行きます。これでは民が南ユダを、ダビデの家を慕ってしまいます。
 それでヤロブアムはベテルとダンに祭壇を築き、金の子牛の象を作りました。
 そしてレビ人ではない部族の人を勝手に祭司にし、主が命じていない日にちに祭りを行いました。

 神の言葉によって王とされながら神様を無視するヤロブアムに、預言者が警告します。
 列王記上13章で預言者は、ダビデの子孫であるヨシヤという人によって祭司の骨が祭壇で焼かれると預言しました。
 この呪いの預言を聞いたヤロブアムは手を伸ばし「その男を捕えよ」と命じましたが、その手は力が入らなくなってしまいます。
 預言者が癒しを祈ると、手は元通りになりました。
 このように神の言葉のしるしを体験しても、ヤロブアムは神に従おうとしませんでした。

 このようなことがあったため、祭司とレビ人などが南ユダに移住してきました。
 そして祭壇に対する預言は、南ユダのヨシヤ王の時代に実現することになります。

多くのものを手放して主を求める

 移住するというのは簡単なことではありません。
 それまで住んでいた土地を離れなければなりません。特にイスラエルの民にとって、神が先祖に分配した嗣業の土地を手放すことになります。
 トラックなどもありませんから、財産のすべてを持っていくことはできません。
 彼らはたくさんのものを手放し、南ユダに来ました。

 そこまでして来た理由は何でしょう。
 仕事を失ったというのも1つあります。
 しかし祭司やレビ人ではなく、職を失ったわけでもないのに移住してきた人たちもいました。
 彼らは「イスラエルの神、主を求めようと心を定めた者たち」だと言われています。
 主を礼拝するために、土地を手放し、財産を捨てて移住して来たというのです。
 彼らはまさに神を最優先にした人たちです。
 そして聖書は彼らによって国が強くされたと記しています。

富の誘惑が主を求めることを妨げる

 礼拝を最優先にする人たちによって国が強くされます。主を求めようと心を定めた人たちです。
 しかし主を求める上で大きな障害になるのは富の誘惑です。
 イエスは言いました。

「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

マタイによる福音書6:24

 人は神と富とに仕えることはできません。
 富にしがみつきながら神様に従うことはできません。
 逆にイエス様に出会った人たちはザアカイやバルナバのように、富を喜んでささげるようになります。

日本の近代化に貢献した聖書を読んだサムライたち

 日本の近代化に貢献したのは聖書を読んだサムライたちでした。政治、教育、医療、福祉、介護など、国の基礎となるあらゆる分野に聖書を読んだサムライたちが貢献しています。
 これからも聖書を読み、神様を最優先にする人たち、礼拝を最優先にする人たちによって国が祝福されていきます。町が祝福され、家庭が祝福されます。

礼拝を最優先にしている信仰の先輩たちを見習う

 教会の執事さんたちも、遠くに住んでいても、出張で県外に出ていても、こちらに戻って礼拝をささげていました。本当に尊敬します。
 そのような執事さんの存在により、教会は守られてきたと言えます。
 その祝福は家族にも仕事にも流れています。
 礼拝を最優先にした信仰の先輩たちの姿を見習ってください。

初めの愛を思い起こす

 レハブアムの17年の治世の中で神に従ったのは3年のみ。期限付きでした。
 あなたの信仰生活も救われたばかりの頃は神様を最優先にしようという情熱があったかもしれません。しかし情熱は放っておくと冷めていきます。
 初めの愛が冷めていませんか。どこから落ちたか思い起こし、初めの愛を再び燃え立たせてください。
 今からでも間に合います。
 主を求めようと心を定め、礼拝を最優先する人生を選択してください。
 神に従うあなたによって、家庭が、職場や学校が、この町が、この国が祝福されます。

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