王国の分裂

歴代誌講解44

王国の分裂

歴代誌下 10:1-17

1 すべてのイスラエル人が王を立てるためにシケムに集まって来るというので、レハブアムもシケムに行った。2 ネバトの子ヤロブアムは、ソロモン王を避けて逃亡した先のエジプトにいて、このことを聞き、エジプトから戻って来た。3 ヤロブアムを呼びに使いが送られて来たので、彼もイスラエルのすべての人々と共に来て、レハブアムにこう言った。4 「あなたの父上はわたしたちに苛酷な軛を負わせました。今、あなたの父上がわたしたちに課した苛酷な労働、重い軛を軽くしてください。そうすれば、わたしたちはあなたにお仕えいたします。」5 彼が、「三日たってからまた来るがよい」と答えたので、民は立ち去った。6 レハブアム王は、存命中の父ソロモンに仕えていた長老たちに相談した。「この民にどう答えたらよいと思うか。」7 彼らは答えた。「もしあなたがこの民に優しい態度を示し、好意を示し、優しい言葉をかけるなら、彼らはいつまでもあなたに仕えるはずです。」8 しかし、彼はこの長老たちの勧めを捨て、自分と共に育ち、自分に仕えている若者たちに相談した。9 「我々はこの民に何と答えたらよいと思うか。彼らは父が課した軛を軽くしろと言ってきた。」10 彼と共に育った若者たちは答えた。「あなたの父上が負わせた重い軛を軽くせよと言ってきた民に、こう告げなさい。『わたしの小指は父の腰より太い。11 父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしはさそりで懲らしめる。』」12 三日目にまた来るようにとの王の言葉に従って、三日目にヤロブアムとすべての民はレハブアムのところに来た。13 王は彼らに厳しい回答を与えた。レハブアム王は長老たちの勧めを捨て、14 若者たちの勧めに従って言った。「父がお前たちに重い軛を負わせたのだから、わたしは更にそれを重くする。父がお前たちを鞭で懲らしめたのだから、わたしはさそりで懲らしめる。」15 王は民の願いを聞き入れなかった。こうなったのは神の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された。16 イスラエルのすべての人々は、王が耳を貸さないのを見て、王に言葉を返した。「ダビデの家に我々の受け継ぐ分が少しでもあろうか。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、それぞれ自分の天幕に帰れ。ダビデよ、今後自分の家のことは自分で見るがよい。」こうして、イスラエルのすべての人々は自分の天幕に帰って行った。17 レハブアムは、ただユダの町々に住むイスラエル人に対してのみ王であり続けた。

人間の罪のために起こった分裂

 今日の本文はイスラエル王国の分裂です。
 ユダヤの歴史を記録した歴代誌はここで大きな転換点を迎えます。
 歴代誌上10章まではアダムからサウル王までの歴史。歴代誌上11章で全イスラエルを治めるダビデ王朝が成立します。
 今日の本文でもダビデ王朝は続きますが、治めるのは南ユダ王国だけになります。

レハブアムを見限りヤロブアムを王とする

 きっかけはレハブアムの即位式です。
 ソロモンの死後、民の代表者がシケムに集まりました。
 レハブアムは自分が王になったことを祝ってもらえると思っていたでしょう。
 しかし民が王に言ったのはお祝いの言葉ではなく文句でした。

 民はソロモンの時代に過酷な労働と重い税を負わされていました。
 エフライム人ヤロブアムはソロモンに背きましたが、命を狙われ、エジプトに逃げていました。
 民はヤロブアムを呼び戻してリーダーとし、レハブアムに負担を軽くしてくれるよう要求しました。

 そんなことを言われると思っていなかったレハブアムは3日間待つように伝え、仕える者たちに相談しました。
 長老たちは優しくするのがよいと助言しましたが、若者たちはもっと厳しくすべきと言いました。
 レハブアムは自分と同年代の若者の意見を採用し、民に厳しい回答をします。
 これを聞いた民はレハブアムを見限って帰り、10部族はヤロブアムを王として立てました。

積み重なる人間の罪

 レハブアムの愚かな回答が分裂の決定打になりましたが、分裂のきざしはソロモンの時代から始まっていました。
 そもそもソロモンが民に重い税金を課し、重労働をさせていたので不満がたまっていました。
 申命記で王は民を見下してはならないと書いてあるのに、ソロモンはイスラエルの民を奴隷のように扱いました。
 まるでエジプトのファラオがしたように。
 だからレハブアムは長老の助言に従い、民を苦しみから解放するべきでした。

 レハブアムの過ちは、年長者の意見に従わなかったということではありません。
 年長者の意見に耳を傾けるのはもちろん大事ですが、彼らの意見がいつも正しいとは限りません。昭和の話がいつまでも通用するわけではないのです。
 変化していく時代の中で、若者の意見が参考になることはよくあります。

 レハブアムの過ちは、神の御心を求めなかったことです。
 出エジプトの時代に奴隷だった民を神が力強い御手で救い出したことを思えば、ソロモンに苦しめられた民を解放すべきであることは明らかです。
 しかしレハブアムはますます民を苦しめることを選択しました。
 神の御心など全く考えていません。

 それにしても若者たちの助言は浅はかです。
 負担をさらに重くすれば民も黙るだろうとは、ファラオの考えと全く同じです。
 出エジプト記5:7-9で、モーセに民を解放してくださいと要求されたファラオは、労働の負担を重くしました。こんな文句が出るのは怠け者だからで、文句を言えないほど働かせてやろうと思ったわけです。
 若者たちの意見はこれと同じで、民を奴隷のようにしか見ていないことがわかります。

 それにレハブアム自身の問題もあります。
 偉大な父を超えたいと思っていたレハブアムは王の威厳を示すことで民は従うと考えました。

 ヤロブアムと民も過ちを犯しています。彼らは初めからレハブアムを王として認めていません。
 ソロモンが後継者としてレハブアムを指名したことをリーダーたちは知っていたはずです。
 主が立てたダビデの王座ですから、その権威に従い、神の前で礼拝をささげ、油を注いで即位式をするべきでした。
 しかしヤロブアムは自分が王になろうとし、民は神が油注がれた方に背き、レハブアムにまず文句を言います。
 彼らも神を無視しています。

 このような過ちの数々がイスラエル王国の統一に傷をつけ、やがてその傷口は広がり、ついに分裂してしまったのです。

神の計らいの中で起きた分裂

 15節に「こうなったのは神の計らいによる。主は、かつてシロのアヒヤを通してネバトの子ヤロブアムに告げられた御言葉をこうして実現された。」とあります。
 列王記上11:31-36で預言者アヒヤは、コートを12切れに分けてその内の10切れをヤロブアムに取らせ、王国の分裂を予告しました。そこで語られた預言が成就したわけです。
 人間の過ちによって起こった分断ですが、これも神の御手の中にあります。

救いの計画のために罪を犯すことも許す

 神はあえて人間の過ちを放置します。
 善悪の知識の実を食べないように管理できたはずです。
 イエス様の受難の記事を読んでいくと、人間のあらゆる汚さや醜さが見えてきます。
 イエス様は裁判も不当だと告発できました。しかしイエス様は沈黙したまま、人の罪をそのままにします。
 それは大いなる救いの計画のためです。

愛の関係を築くためのプロセス

 愛は自由な関係の中にこそあります。
 子どもが過ちを犯さないように徹底的に管理するのは愛ではありません。
 愛の関係には背く自由もあります。
 過ちを犯してしまった場合、ただいいよいいよと言うのでは子どもは背いてもいいのだと学んでしまいます。過ちの責任を大人が取るとしても、何を間違ったのか子ども自身が気づくようにします。そして子どもが自分の口でごめんなさいと言えるようにします。
 このように過ちを犯しても赦されていく中で愛の関係は育まれていきます。

 神は人間と愛の関係を築きたいと願っています。
 だから人に自由意思を与え、背く自由さえも与えました。
 そして人間の罪を明らかにした上で赦し、愛の関係を築いていこうとしているのです。

自分の罪を認め、神との関係を回復する

 神は私たちの罪も指摘します。聖書を読みながら罪を指摘する声が聞こえてきませんか。
 お前はソロモンのように人を大事にしていないではないか。レハブアムのように誰かに助言を求めたか。年長者をないがしろにしていないか。若者や子どもたちの話に耳を傾けているか。
 神様を無視していないか。祈りと御言葉で神様の声を求めているか。
 自分の罪を認めることが愛の関係を回復させる第一歩です。

神の手の中で再び一つになる

 王国の分裂は取り返しのつかないものではありません。やり直しの機会を神は与えます。
 歴史的には北イスラエルと南ユダの分裂は解消されず、それぞれ滅亡していきます。
 しかし神は回復を約束しています。

彼らに語りなさい。主なる神はこう言われる。わたしはエフライムの手の中にあるヨセフの木、およびそれと結ばれたイスラエルの諸部族を取り、それをユダの木につないで一本の木とする。それらはわたしの手の中で一つとなる。

エゼキエル書37:19

 北イスラエル王国を建国したヤロブアムはエフライム族でした。北イスラエルを象徴する木と南ユダを象徴する木が神の手の中で一つになります。
 そしてそれはダビデの子として来る一人の王、一人の羊飼いによって成し遂げられると言います。
 それはイエス・キリストです。

イエス・キリストが成し遂げた歴史の最大の転換点

 イエス・キリストにおいて歴史は最大の転換点を迎えました。
 神との和解を成し遂げ、すべてを一つにする転換点です。

 神の手の中で一つになった木はどのような形でしょう。
 もしかしたらクロスした形かもしれません。実際どのような形で結び合わせたかわかりませんが、2本の木をクロスさせれば十字架ができます。

十字架において和解する

 十字架はバラバラになったものを再び結び合わせます。

十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。

エフェソの信徒への手紙2:16

 イエス・キリストは私たちの平和です。十字架において2つのものを1つにし、あらゆる敵意を滅ぼし、神と人間とを結び合わせ、人と人とを結び合わせます。
 十字架にはその力があります。

罪を認め、神に立ち帰る

 私たちの人生にも転換点が必要です。
 神の方に方向転換するのです。これを悔い改めと言います。
 自分の罪を認め、その罪のために十字架で死なれ復活したキリストのもとに帰って来てください。
 神との愛の関係が回復し、バラバラになった人と人との関係も回復されていきます。

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