収穫感謝礼拝
祭司の役割
ペトロの手紙一 2:9-10
9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、あなたがたが広く伝えるためなのです。 10 あなたがたは、 「かつては神の民ではなかったが、 今は神の民であり、 憐れみを受けなかったが、 今は憐れみを受けている」 のです。
今日は収穫感謝礼拝として礼拝がささげられています。皆さんのご協力に感謝します。
教会はこのように皆で造り上げていくものです。
そのことについてペトロの手紙一2章の前半に書かれています。
土台の上にレンガを積み上げて家を造っていくように、キリストを土台として私たち自身も生きた石となって霊的な家すなわち教会を建て上げていくのです。
キリストが土台であるというのは、コーナーストーン(要石、隅の親石)と言い換えることもできます。このことについては旧約聖書でも預言されています。
この石は人々に捨てられます。その人たちにとってイエスはキリストではなく、自分たちの邪魔をする存在です。
彼らは御言葉を信じないで、キリストという岩につまずくのです。
福音によって救われた人たち
神の設計図にその名が記されている
という話に続いて「しかし、あなたがたは」とあります。御言葉を信じない人はキリストにつまずくけど、あなたたちは違うよね、と。
御言葉を信じる私たちはイエスをキリストとして信じ受け入れました。
そしてコーナーストーンであるキリストの上に積み上げられていく生きた石になります。
私たちは神の設計図に基づいて積み上げられていきます。そこには一切の無駄がなく、すべてのパーツが互いに補強し合い、キリストの教会を建て上げていきます。
だから1つでも石が欠けてしまったら、弱々しくみすぼらしくなってしまいます。
私たちも神の設計図にその名が書き記されています。
私たち一人一人の存在無くして、教会は完成しないのです。
救われた者のアイデンティティ
この私たちのアイデンティティをペトロはこう表現します。
あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。
ここには出エジプト記19:5-6で神様がイスラエルの民に語った言葉が使われています。
イエスをキリストとして信じ救われた私たちはイスラエルの民と同様、選ばれた民です。アブラハムの子孫として祝福を受け継ぎます。
神はイスラエルの民を通して全世界を祝福しようとしておられます。ですからイスラエルは祭司の王国。信仰によって神の子とされた私たちは、この王国の王子様お姫様です。王の系統を引く祭司となって世界を祝福します。
神様はイスラエルを鷲の翼に乗せるように力強い御手で救い出しました。私たちも神様に守られる宝の民です。
今は神様のもの。世は私たちを奪い返そうとして様々な苦難を仕掛けてきます。しかしイエスを信じる信仰によって世に打ち勝ちます。
救われた目的は福音を伝えること
続けてパウロは、私たちが救い出された目的について語ります。
それは、私たちを暗闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある業を、私たちが広く伝えるためなのだと。
ここで改めて私たちの救いについて考えてみましょう。
私たちは神の民ではなかったわけですね。神を知らずに生きてきた異邦人でした。
ローマの信徒への手紙3章を見ると、人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっているとあります。希望のない暗闇の中にいました。
その罪が支払う報酬は死です。神との関係は絶たれ、霊的に死んでいる状態にありました。
また私たちは世のものであり、悪魔の支配下にいました。
人はこの暗闇から抜け出そうともがきます。それで偶像の神を作り、哲学を生み出し、善行に励みます。
しかし人間の努力で神に到達することはできません。神と人との間には罪という深い断絶があるからです。
この断絶は神ご自身も越えられません。聖い神は罪と無縁ですから。
神様は私たちを憐れんで愛の手を差し伸べていますが、人の罪がそれを阻むのです。
この越えられない断絶を解決するために、神が人となって来てくださいました。それが御子イエスです。
イエス様は私たちの罪のために十字架で死なれました。この死によって私たちの罪の償いは完了しました。
神と人とを隔てていた断絶に、十字架という橋が架けられました。
イエス様だけが神に至る唯一の道です。
イエス様は墓に葬られましたが、3日目に復活しました。
このお方を信じるなら、私たちも新しい命に生かされます。
こうして暗闇の中にいた私たちは驚くべき光の中へと招き入れられました。
イエス・キリストの十字架の死と復活という力ある御業です。
これを福音といいます。
福音を受け取ったなら、黙っていてはいけません。
光を手にしたなら、それを隠さず周りを照らしますね。
福音を、相変わらず暗闇の中にいる人たちに伝えるのです。
神を知らずさまよう人を探して救うために神が私たちの間に住まわれたように、私たちも人々のところに出て行くのです。
救われた実体験を伝える
福音を伝えることは私たちに任された大事な役割です。
皆さんはどのように伝えますか。救いの証しを語れるように準備をしておいてください。
イエス様を信じる前はどのような人生を歩んでいましたか。
どのようにイエス様に出会いましたか。
イエス様に出会ってどのように変えられましたか。
このようにイエス様によって暗闇から光に招かれた実体験を話すと良いです。
万人祭司
10月の最後の日曜日は宗教改革記念主日でもあります。
マルティン・ルターの宗教改革の大きな柱は「聖書のみ」「信仰義認」「万民祭司」です。
私たちの信仰と行いの唯一の基準は聖書だけ。
私たちは行いによるのではなく、ただ信仰によって救われます。
すべてのクリスチャンは平等で、自ら神様と直接つながることができます。今日の本文でもイエスを信じる人一般に向けて、あなたがたは王の系統を引く祭司だと言っています。
祭司は神に礼拝をささげる
祭司は神と人との仲介者です。
犠牲の動物の血を流して神に礼拝をささげ、神からの祝福を民に流します。
私たちには礼拝をささげる役割があります。
日曜日には共同の礼拝をささげます。
講壇がステージで会衆席が客席だと思っていませんか?
違います。
この会堂全体がステージで、客席におられるのは神様お一人です。
私たち全体で神様に礼拝をおささげしています。
お客さんのようにただ座っていないで、礼拝に参加してください。
礼拝は日曜日に教会の建物の中だけでするものではありません。
自分の体を聖なる生けるいけにえとしてささげる。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。
日々の生活の中でも御言葉を聞き、祈り、賛美し、神様と共に歩んでください。
神の祝福を流す
また祭司は、神様からの祝福を民に流す役割があります。
私たちは祝福の源。私たちを通して世界は祝福されます。
私たちが祝福を流すべき場所は家庭、職場、学校、この街。
世界の問題にも目を向けてください。戦争、貧困、飢餓など様々な問題があります。
この壊れた世界を神様のものとして回復していくことも、私たち神の子に任された役割です。

宗教改革はまだ終わっていません。
私たちはこれからも御言葉に立ち帰り、健全な教会を建て上げて行かなければなりません。
神様の設計図に基づいて教会を建て上げていきます。
そのために私たち全員の参加が必要です。
それぞれの賜物を活かして主に仕える。
そしてそれぞれの生活の場で愛を実践する。
そうしてキリストの福音がこの地に広げられていきます。
共にキリストの教会をこの地に建て上げていきましょう。
皆さん一人一人の存在を神様が必要としておられます。


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