【第八戒】盗むな

十戒10

盗むな

出エジプト記20:15

盗んではならない。

祝福としての財産を守る

 第八戒は「あなたは盗んではならない」です。
 盗むとは他人のものをこっそり取って自分のものにすることです。
 財産に関する戒めです。

 イエス様は「神と富とに仕えることはできない」と言いました。
 私たちが神に仕えようとするなら、富を捨てなければならないのでしょうか。
 他の個所では金持ちが天の国に入るよりラクダが針の穴を通る方が簡単だとも言っています。
 金持ちになることを目指してはいけないのでしょうか。

 創世記やヨブ記を見ると、神様が祝福として財産を与える場面が出てきます。財産も神様の祝福です。
 働いてお金を稼ぐことや豊かな生活をすることは、決して悪いことではありません。経済的な祝福のために祈るのはよいことです。
 そして私たちは、自分のことだけでなく他の人の財産も守っていくことが求められています。

生活を向上させる努力

 私たちは自分の生活を向上させるために努力するべきです。
 まずは自分の手で働いて正当な収入を得ることです。

盗みを働いていた者は、今からは盗んではいけません。むしろ、労苦して自分の手で正当な収入を得、困っている人々に分け与えるようにしなさい。

エフェソの信徒への手紙4:28

 パウロはこのように勧めています。
 自分の手で働いて正当な収入を得るのです。

仕事も神からの祝福だった

 仕事というものは、罪のために苦しい労働になっている部分もあります。顔に汗を流してパンを得なければなりません。
 しかし本来、仕事も神様が与えた祝福です。

主なる神は人を連れて来て、エデンの園に住まわせ、人がそこを耕し、守るようにされた。

創世記2:15

 人は神様が与えた仕事をし、その仕事を通して世界は耕されていきました。
 仕事をすること自体が祝福であり、その仕事によってこの世界も祝福されていくのです。

仕事によって世界は祝福される

「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(マックス・ウェーバー)

 そして働く者が報酬を得るのは当然のことです。
 このように、神様が与えてくださった仕事に励み、利潤を得る。その利潤は仕事によって世界が祝福された結果、つまり隣人愛の結果である。それで利潤を追求するようになる。
 このようなプロテスタントの倫理が資本主義の精神を生み出していったことを、経済学者マックス・ウェーバーが解き明かしました。

 自分が働いて得たものは自分のものです。
 しかしその仕事も報酬も与えてくださったのは神様です。
 だからいただいた恵みを流していくことも大事です。いただいた収入を使うのです。
 本当に豊かな人とはどのような人でしょうか。銀行にたくさん預けている人でしょうか。いや、よく使うことができる人こそ豊かな人でしょう。
 お金を使うことで社会はより良くなります。
 たとえば、Aさんが100円を持っているとします。Bさんはおにぎりを持っています。AさんとBさんの間には100円分の資産しかありません。
 Aさんはおにぎりが欲しいと思い、Bさんに100円を払っておにぎりを買いました。
 するとBさんは100円を持っており、Aさんは100円分の価値があるおにぎりを持っています。AさんとBさんの間の資産は200円分に増えました。
 すごく雑な説明ですが、このようにお金を使うこと、経済活動をすることで世界の富を増やしていくことができます。
 また将来のために蓄えることも大事です。将来の自分や子どもたちのために投資をするのです。

ささげることで世界はより良くなる

 経済活動によって世界全体の富の増え方より、格差の広がりの方が大きいことがわかっています。だから寄付をするというのも大事なことです。
 福祉制度のために税金をよく払ったり、慈善活動のために募金をしたりするのです。
 神様のために献金をすることも忘れてはいけません。
 そして助けを必要としている隣人に寄付をするのです。

施すべき相手に善行を拒むな/あなたの手にその力があるなら。

箴言3:27

と勧められています。

盗みは人生を破壊する

 盗みは、自分の生活を向上させることをやめてしまうところから出てきます。
 自分の手で働いて収入を得るのは大変です。手っ取り早い方法で財産を得ようとするなら、持っている人から奪えばいいです。
 しかしそこで得た財産は一時的なものです。泡のようにすぐに消えてしまうし、返すことを求められることになるでしょう。
 盗みは自分の生活を向上させることがないばかりか、破滅させます。
 何より、盗まれた人は生活を向上させようとして来た努力を否定されることになってしまいます。財産を失うだけではなく、人生の希望さえも奪われてしまうかもしれません。
 盗みは自分だけでなく盗まれた相手の人生も破壊してしまいます。

他の人を不当に利用すること自体が盗み

 物質だけではなく、他の人を利用すること自体が盗みです。
 相手の時間を盗むこともあります。自己中心的な行動によって人を振り回してしまいます。誰かが一緒に時間を過ごしてくれるなら、それ自体が愛の行為であることを忘れてはいけません。
 相手のアイデアなどを盗むこともあります。今はインターネット上で様々なものを無料で手に入れることができます。そこで誰かのデザインしたものを勝手に使ったり、違法にアップロードされた音楽や動画を利用するならそれも盗みです。正当な代価を支払わなければなりません。

神を愛し神からの祝福を愛する

 盗みを避けるために必要なことは、すべてが神のものであると認めることです。
 仕事も富も神から来ています。だから仕事に励み、そこで手に入れた収入をよく使うのです。
 隣人もまた神様が与えてくださった尊い存在です。彼らの富も時間も能力も尊重しなければなりません。
 このように神を愛するなら、富に対する正しい付き合い方も見えてくるでしょう。
 人は神と富とに仕えることはできません。
 神を愛し、自分の生活と隣人の生活の向上に励んでいきましょう。

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