その夢、神が成し遂げる

使徒言行録講解49

その夢、神が成し遂げる

使徒言行録16:11-15

11 わたしたちはトロアスから船出してサモトラケ島に直航し、翌日ネアポリスの港に着き、12 そこから、マケドニア州第一区の都市で、ローマの植民都市であるフィリピに行った。そして、この町に数日間滞在した。13 安息日に町の門を出て、祈りの場所があると思われる川岸に行った。そして、わたしたちもそこに座って、集まっていた婦人たちに話をした。14 ティアティラ市出身の紫布を商う人で、神をあがめるリディアという婦人も話を聞いていたが、主が彼女の心を開かれたので、彼女はパウロの話を注意深く聞いた。15 そして、彼女も家族の者も洗礼を受けたが、そのとき、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言ってわたしたちを招待し、無理に承知させた。

いまだ叶わぬ拉致被害者救出

横田滋さん

 一昨日、横田滋(しげる)さんが天に召されました。滋さんには、めぐみさんという娘がいます。
 滋さんが日本銀行新潟支店に勤めていた1977年11月15日。中学1年生だっためぐみさんが突然姿を消してしまいました。部活を終えて友だちと別れ、自宅まで数分というところでした。
 1998年に、北朝鮮から亡命してきた工作員の証言などから、北朝鮮による拉致事件であるということが確実になりました。翌年、滋さんは拉致被害者家族会を結成し、初代会長に就任します。
 2002年には5人の帰国が実現します。しかしめぐみさんの帰国は叶いませんでした。
 帰国した5人のうちの一人、蓮池薫さんは、めぐみさんと平壌の同じ地区で生活していたことがあるそうです。滋さんにその時の話をすると、「それで?それで?」とものすごくうれしそうな顔で聞いていました。
 めぐみさんは北朝鮮で結婚し、子どもがいるということもわかりました。
 2014年にはめぐみさんの娘、滋さんにとっては孫にあたる金ウンギョンさんと面会することができました。しかしその時も、めぐみさんとは再会できませんでした。
 2017年に洗礼を受け、クリスチャンになっています。
 妻の早紀江さんと共に、1400回以上講演活動をしてきました。しかしめぐみさんの救出も再会も叶うことはありませんでした。
 連れ去られた娘に会いたい。親として、当然の思いでしょう。何年にも渡って、祈りも積み重ねられてきたはずです。
 それなのに神は聞いてくれない。努力してきたことは無駄だったのではないかと、空しい思いにもなってしまいます。

アジア伝道を諦め、マケドニアのフィリピへ

サモトラケのニケ

 パウロたちはアジア州で御言葉を語る予定でしたが、聖霊に禁じられてトロアスまで来ました。そこでマケドニア人の幻を見て、マケドニアに行くことが主の御心だと確信しました。
 すぐに出発し、サモトラケ島、ネアポリスを経由し、フィリピに入ります。

ナイキのロゴ

 サモトラケのニケが発見されたサモトラケ島ですね。
 ニケというのは勝利の女神で、ナイキのロゴはニケの翼がモチーフになっているそうです。
 こういう彫刻があったというのを見ると、ギリシアだなという感じがしますね。

オクタヴィアヌス
(アウグストゥス)

 フィリピはマケドニア州の第一区にある都市の一つです。マケドニアの王フィリッポスが、金を採掘するために建設しました。

ブルータス

 ローマの初代皇帝になるオクタヴィアヌスが、カエサルを暗殺したブルータスを打ち破ったのはこの近くです。
 それ以後、ローマの植民都市として発展してきました。
 住民はほとんどギリシア人とローマ人です。ユダヤ人はあまり住んでいなかったようです。
 これまでのパウロの宣教戦略は、安息日にユダヤ人の会堂で福音を伝えるというものでした。しかしフィリピでは会堂に行きません。会堂すらなかったようです。
 会堂はユダヤ人男性が10名以上いるコミュニティなら作ることができました。フィリピのユダヤ人コミュニティは、よほど小さかったようです。
 この町に教会を建てようとすれば、様々な困難が予想されます。ローマ帝国の影響が強い。ユダヤ人が少ない。メンバーが少なければ経済的にも困るでしょう。
 こっちが主の御心だと信じて、ここまで来たのです。アジア州で御言葉を語るという計画も捨てて来ました。それなのにフィリピの町はこんなに困難が多い。
 神は一体、どういうつもりなのかと嘆きたくなります。

主が人の心を開く

 それでもパウロたちは祈りの場所があると思われる川岸に行きました。そこには婦人たちがいたので、座って話をしました。
 その中にリディアという女性がいました。彼女は異邦人でしたが、ユダヤ教に改宗していたようです。
 彼女はパウロの話を注意深く聞いていました。
 そして彼女は主イエスを信じ、家族も共に洗礼を受けました。
 こうしてフィリピで最初の、ヨーロッパで最初の洗礼者が誕生しました。
 それは、パウロの話が上手かったとか、パウロの計画がよかったということではありません。
 主が彼女の心を開いたからでした。パウロの力ではなく、神がなさったことです。
 パウロの計画には全くなかったことだと思います。
 アジア伝道を諦め、ヨーロッパに来た。しかし今までの方法が全く通じない。たまたま居合わせた女性たちに話をしたら、その内の1人が信じた。すべて神の導きです。
 パウロは後にフィリピに誕生した教会に手紙を書いています。その中にこうあります。

あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。

フィリピの信徒への手紙2:13

 どんなに宣教が難しいと思われる状況でも、そのビジョンを与えたのが神であるなら、人の心を開き、それを成し遂げるのも神です。

ティアティラ市出身の紫布商人リディア

 もう少しこのリディアという女性に注目してみると、彼女の出身はアジア州のティアティラでした。
 アジア州は、パウロが行こうとしていたところです。しかし聖霊に禁じられたので、その計画を手放しました。
 アジア州で御言葉を語りたいというのは、よい考えでしょう。御心に合っているはずです。それなのに諦めなければならなかった。なぜ?という思いや、悔しさがあったと思います。
 神は、その計画も覚えています。それでヨーロッパに入ったところで、アジア州の人が御言葉を聞いて救われるというダブルプレーを成し遂げます。
 神様のすることは本当に面白いです。

紫の色素が取れる
シリアツブリガイ

 それから、リディアの仕事は紫布の商人。
 紫の色素はとても貴重でした。
 アッキ貝の仲間から分泌されるパルプラという液体から取られます。しかし小さな貝ですから、少ししか取れません。
 王や貴族を象徴する色でした。
 この紫布を取り扱うわけですから、リディアもセレブなキャリアウーマンという感じでしょう。

貝紫色(Royal Purple)

 リディアは主を信じると、パウロたちをもてなしました(無理矢理に)。
 こうしてリディアの家にフィリピの兄弟姉妹が集まるようになり、教会となります。
 この、女性が中心となり、働き人をもてなす、というのがフィリピ教会の特徴となります。
 パウロたちがフィリピを出た後も、フィリピ教会だけは支援の物を送り続けました。
 ユダヤ人コミュニティが小さく、こんなところで教会がやっていけるのかという心配は完全に吹き飛んでしまいました。
 でも私はセレブなキャリアウーマンではないから、もてなしはできない。私には関係ない。と思わないでください。
 これはリディアがセレブなキャリアウーマンでなければできなかったということはありません。
 パウロはフィリピ教会の贈り物に感謝し、このように祝福します。

わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。

フィリピの信徒への手紙4:19

 必要を満たすのは神です。
 神の栄光のために、必要な力は神から来ます。
 宣教をしようとするなら、人の心を開くのは神です。
 もてなしをしようとするなら、その資源を与えるのは神です。
 だからパウロは言います。私を強めてくださる方のお陰で、私にはすべてが可能です、と。

勝利の主が共にいる

 イエス様に従うとき、私たちは自分の計画を手放さなければならなくなることがあります。
 それが御心だと信じて進んだのに、困難にぶつかることがあります。
 しかしあらゆる困難を打ち破る力が、私たちに与えられています。
 人間にとって最大の問題は、死でしょう。
 復活の主イエスは最大の問題である死さえも打ち破りました。
 勝利の女神ニケどころではない。勝利の主が共にいます。

 主は、私たちが手放した計画も覚えています。
 鳩ヶ谷福音自由教会の大嶋重德先生は、学校の先生になるという夢がありました。天職だとも思っていました。
 しかし伝道者になることを御言葉から示されてしまいました。そして涙を流しながら、学校の先生の夢を手放しました。
 でも学校の先生を目指したその夢は、決して無駄ではありませんでした。
 20年後、ミッションスクールに行って聖書科の授業をする機会が与えられました。
 伝道者の道を歩みながら、かつて夢見た学校の先生も体験できました。
 教師になりたいというあの祈りを、神様は20年間持ち運んでくださっていました。
 私たちの祈りを、神は何一つ捨てないのだ、と思ったそうです。

 横田滋さんはめぐみさんと地上で再会はできませんでした。
 しかしその努力や祈りは、決して無駄ではなかったと私は思います。
 人の考えをはるかに超えた形で、成し遂げられる日が来るのかもしれません。

 今主は、私たちに何と語りかけておられるでしょうか。
 一人一人のこれからの人生に、また教会のこれからの働きに、主の導きがあります。その先には困難もあるでしょう。
 沖へこぎ出して漁をしなさいと言うなら、沖に出ればいい。
 網を捨てよと言われるなら捨てればいい。
 その先にどんな困難があっても、勝利の主が共にいます。
 そのビジョンを与えてくださった主は、その祈りを決して無駄にはしません。
 その夢、神が成し遂げます。
 ビジョンを抱き、進んで行きましょう。

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