ダビデの礼拝改革

歴代誌講解25

ダビデの礼拝改革

歴代誌上 23:1-5, 25-32

1 老人となり、長寿に恵まれたダビデは、その子ソロモンをイスラエルの王とし、2 イスラエルの全高官、祭司、レビ人を呼び集めた。3 三十歳以上のレビ人を数えたところ、その男子の数は、三万八千人であった。4 そのうち、二万四千人は主の神殿における務めを指揮する者に、六千人は役人と裁判官に、5 四千人は門衛に、四千人は、ダビデが賛美するために作った楽器を奏でて、主を賛美する者になった。

25 ダビデは言った。「イスラエルの神、主はその民に安らぎを与え、とこしえにエルサレムにお住まいになる。26 レビ人はもはや幕屋とその奉仕に用いるすべての祭具を担ぐ必要がない。」27 これがダビデの最後の言葉によって数え上げられた二十歳以上のレビ人であり、28 彼らはアロンの子らの傍らで主の神殿の奉仕に就き、庭のこと、祭司室のこと、すべての聖なる物を清めることの責任を負うこととなった。彼らは神殿の奉仕に従事し、29 供え物のパン、穀物の献げ物用の小麦粉、酵母を入れない薄焼きパン、鉄板、混ぜ合わせた小麦粉、すべての量と大きさについても責任を負った。30 更に彼らは、毎朝主に感謝し、賛美し、夕べにも同様に行うこと、31 また安息日、新月祭、および祝祭日には、定められた数を守って常に主の御前にささげる、主への焼き尽くす献げ物すべてについても責任を負った。32 彼らは、主の神殿の奉仕に際して、臨在の幕屋の務めと聖所の務めと彼らの兄弟アロンの子らの務めを果たした。

ルターの宗教改革

マルティン・ルター

 煉獄という言葉は、アニメの登場人物の名前に使われたことで一般的にも知られるようになりました。
 元はカトリック教会の教義として使われる言葉です。地上の人生を終えた霊魂が天国に入る前に清めの苦しみを受ける場所が煉獄とされています。
 煉獄にある霊魂のために祈ったり善行をしたりして、死者の罪の刑罰を軽くすることができるとも教えられていました。その証明として、ローマ・カトリック教会は贖宥状(いわゆる免罪符)を発行しました。そして善行の中には献金も含まれるとして、贖宥状をお金で買えるようにしました。このことが教会の腐敗を進めていきました。
 そして1517年10月31日、マルティン・ルターはヴィッテンベルグ城教会の門に95ヶ条の論題を張り出しました。このことが宗教改革の発端になりました。
 今日はそれからちょうど504年になります。
 カトリック教会は伝統的に煉獄を教義として教えてきましたが、プロテスタント教会では聖書に根拠がないとして煉獄の存在を否定しています。
 伝統というのは大事ですが、長い時間が経つうちに形式的なものになってしまったり、変質してしまったりすることがあります。
 本質に立ち返り、変わらなければいけないこともあります。

改革は繰り返される

 今日は神殿におけるレビ人の役割について書かれた箇所です。
 レビ人はイスラエルの民の中で特別な役割が任せられていました。ヤコブの3男レビを父祖とする氏族ですが、イスラエルの12部族には数えられていません。レビ人は神様に仕えるために選び分けられた氏族になりました。
 荒野では臨在の幕屋での奉仕や、契約の箱を運ぶことなどが任せられていました。
 カナンの地に入ると、レビ人たちは12部族の間に分かれて住み、祭司の働きを助けました。幕屋での奉仕は続いています。
 ダビデは神殿を建てようとしていますが、神殿が建てばレビ人の役割は変わってきます。契約の箱は神殿に置かれ、もう運ぶ必要がなくなります。そして神殿での礼拝は幕屋での礼拝より大規模なものになります。
 改革の必要が出てきました。

神殿建設に伴う改革

 ダビデは高官、祭司、レビ人を呼び集めました。そして30歳以上のレビ人を数えさせました。
 これは民数記で、奉仕者の任期が30歳以上50歳以下となっていたからです。
 ダビデは人口調査で失敗した経験がありましたが、今回は礼拝の奉仕者を把握するためなので問題ありません。
 調査の結果、3万8000人のレビ人がいることがわかり、神殿での奉仕、役人や裁判官、門衛、賛美の奉仕者に任命しました。

 25節からは神殿での奉仕について書かれています。彼らの役割は神殿、庭、祭司室の管理。祭具を清めること。ささげもののパンのこと。毎日朝と夕に賛美すること。安息日や祝祭日のささげものに関することです。色々な役割が任されていました。
 27節には、数え上げられたのは20歳以上のレビ人とあります。
 奉仕者は30歳以上50歳以下だったはずなのに、条件がゆるくなっています。30歳から20歳に10歳も引き下げられていますし、50歳という定年もなくなっています。
 奉仕が増えたことで、より多くの人手が必要になったのかもしれません。

律法の文言に従っていない

 レビ人の奉仕は民数記という律法で決められていました。神の言葉によって命じられたものです。それを変えるのは神の言葉に背くことではないか。
 そう言うなら私たちも神の言葉に背いています。
 犠牲の動物を持ってきた人はいませんね。
 週の第7日、金曜日から土曜日を安息日としていません。
 それに割礼を受けていません。
 これは大変です。律法通りの礼拝に戻るべきでしょうか。

神と人との関わりは変わってきた

 その必要はありません。
 神様は昨日も今日も永遠に変わることのないお方です。神の言葉は天地が滅んでも一点一画も変わりません。
 しかし神様と人との関わりは変わっていきます。
 ですから礼拝のあり方も変わっていきます。
 モーセの時代は荒野での礼拝があり、カナンの地に入ってからの礼拝があり、神殿での礼拝があります。そして捕囚時代には神殿がなくなってしまいますが御言葉中心の礼拝に変わります。そして世界中に散らされた民は会堂での礼拝を始めました。
 イエス・キリストの十字架の死と復活によって、教会での礼拝が始まりました。
 神の子羊という完全な犠牲がささげられたので、もう犠牲をささげる必要はなくなりました。
 キリストの復活を記念して教会は日曜日の朝に礼拝をささげます。
 割礼を受けなくてもただキリストを信じる信仰で義とされ、神の民になります。

今も改革の途上

 このような改革は数百年に一度ではなく、何度も繰り返し行われています。
 王国時代だけ見ても、ダビデの改革の後にヒゼキヤ王やヨシヤ王の時代にも大きな改革が行われています。
 教会の歴史の中でも、数々の変更が行われてきました。500年前に起こった宗教改革もその中の1つです。
 教会の改革、礼拝の改革は500年前に終わったわけではありません。繰り返し、礼拝のあり方を見つめ直す必要があります。
 今私たちが生きているこの時代も、礼拝は改革の時期を迎えていると言えます。
 技術の革新とパンデミックにより、オンライン礼拝という礼拝のあり方が一般的になりつつあります。
 これを礼拝として認めるのかという神学的な議論を深める必要はありますが、このような改革は常に行われていきます。
 前例がないからとか伝統に反するからとかいう理由で思考停止してしまってはいけません。

新しい革袋

 イエス様の時代、ユダヤ人は習慣として定期的に断食をしていました。ファリサイ派の人々は週に2回断食をしました。洗礼者ヨハネの弟子たちも断食していました。
 しかしイエス様と弟子たちは断食をしていませんでした。
 ユダヤ人はそれを不思議に思いました。
 イエス様は「花婿が来たなら断食なんてしないでしょう」と答えます。
 花婿であるキリストが来ているから断食はしない。このように神と人との関わりの変化を理由に、習慣に従って断食しないことを説明しました。
 イエス様は続けて言います。

また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」

マルコによる福音書2:22

 革袋は、最初は柔らかいのですが時間が経つと硬くなります。
 そこに新しいぶどう酒を入れると、ぶどう酒は発酵してガスを出します。膨らんできます。古い革袋はそれ以上伸びることができないので、破裂してしまいます。するとぶどう酒も革袋もダメになってしまいます。
 新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなければならないのです。
 神と人との関わりが変わろうとしているならば、古い伝統は変えなければならないのです。
 伝統は大事ですが、ガチガチに凝り固まってしまうとダメになります。
 時代に合わせて変化する柔軟さが必要です。

 神様との関わりを見つめ直し、今私たちはどのような礼拝をささげるべきなのかと見つめ直す必要があります。
 そして変わるべきところは柔軟に変えていかなければなりません。
 教会のあり方、礼拝のあり方について互いに意見を出し合い、これからの時代の礼拝を造り上げていきたいです。

一人一人が礼拝者

 レビ人の神殿での奉仕は、建物の管理、礼拝で使う道具の管理、ささげものの管理をしました。
 それと共に毎日朝と夕方に主に感謝し賛美をささげていました。
 多くの奉仕があるわけですが、主な役割としてはアロンの子らの務め。つまり祭司と共に仕えることです。

万人祭司

 今、祭司の働きはすべてのクリスチャンに委ねられています。
 プロテスタント教会では「万人祭司」という言葉を使います。「聖書のみ」、「信仰義認」と並ぶ、宗教改革の三本柱の1つです。
 ペトロは私たちのことを「王の系統を引く祭司」と呼んでいますし、黙示録でも祭司と呼ばれています。
 だから私たちは神から任命された祭司です。
 私たちが祭司であるならば、レビ人が責任を持ったような働きは私たちにも責任があるということです。
 レビ人が神殿の建物や庭の維持管理をしたように、私たちも教会の建物を大切にしなければなりません。先々週は教会の大掃除をしました。一緒に教会の建物の維持管理ができ感謝です。
 ささげもの、献金をささげることもクリスチャンの大切な責任の1つです。
 そして毎日、朝と夕に感謝と賛美をささげることが私たちの責任になります。

街中に響きわたる賛美

 毎日神殿で朝と夕方にささげられていた賛美。きっとエルサレムの街中に響きわたったことでしょう。
 これはエルサレムだけではなく、全国のレビ人が住む町ごとにも行われていたかもしれません。
 賛美の歌声が街中に、そして国中に満ちていくのです。

 私たちも祭司であるのなら、毎日朝と夕に賛美をささげることもできたら素晴らしいではありませんか。
 毎朝、賛美しながら通勤通学する。というのは非現実的でしょうけれど、神様への感謝に満ちあふれた笑顔で通勤通学するというのはどうでしょうか。
 歌声はなくても、その笑顔が賛美になります。
 月曜日の朝、暗い表情で通勤するサラリーマンの間で、あるいは辛い思いを抱えながら通学する学生の間で皆さんが笑顔でいるならば、生きる力を受け取れる人がいるかもしれません。
 夕方にも感謝する皆さんの言葉を聞いて、大変だった一日を心地よく締めくくれる人がいるかもしれません。
 暗闇の世界の中で光を見出すのです。

賛美の街

 この浜松の街は音楽の街と言われています。ヤマハやカワイ、ローランドといった楽器メーカーの本社があるからです。
 ただの音楽ではなく、賛美があふれる街になったら素晴らしいと思いませんか。
 私たちがここに存在することで、この街は賛美の街、神様をたたえる街になっていきます。
 そしてこの国は神様を賛美する国に変えられていきます。
 私たちの体は神に喜ばれる聖なる生けるいけにえ。私たち一人一人の存在、私たち一人一人の神様との関りが大事です。
 これこそ真の礼拝者の生き方です。

今までの礼拝ができなくなっても教会は死なない

 礼拝のあり方は変わっていきます。
 礼拝の中で神の言葉が語られることも、祈りや賛美がささげられることも大事です。また洗礼や聖餐という礼典も大事です。
 カトリック教会のミサの中心は聖体拝領です。聖体拝領とは、キリストの体に変化したパンと血に変化したワインをいただく儀式です。聖餐式が礼拝の中心という感じです。
 しかし、日本のカトリック教会の歴史の中で、聖体拝領ができなくされた時期がありました。
 それは江戸時代、隠れキリシタンの時代です。
 禁教令が出され、日本でキリスト教の信仰を持つことは死に価する罪になってしまいました。司祭たちも追放されてしまいました。
 これではミサの中心にある聖体拝領ができません。礼拝がささげられなくなったようなものです。
 礼拝がささげられなくなってしまったのだから、日本の教会は絶滅したのだと考えられていました。

大浦天主堂

 ところが江戸時代末期、日本の鎖国が終ろうとしていた頃です。長崎に大浦天主堂が建てられ、フランス人のプティジャン神父が赴任してきました。
 彼のもとに日本人の村人たちが来てこう言いました。「われらのムネ、あなたのムネと同じ」私たちの信仰はあなたと同じです、という信仰告白です。
 200年以上、礼拝がささげられないと考えられていた日本で、教会は死んではいなかったのです。
 司祭はいない。聖体拝領という礼拝の形式は保てなくなった。けれども隠れキリシタンたちは、確かにキリストを信じ、それを自分の家族、子どもたちに伝え続けてきたのです。

一人一人が神と出会う

 時代によって、礼拝の形式は変わらざるを得なくなることがあります。伝統的な礼拝のあり方から考えたら、こんなものは礼拝とは言えないと思えてしまう状況になるかもしれません。
 しかし礼拝の中で大事なのは形式ではありません。
 神様との出会い、これが礼拝の欠かすことのできない本質です。個人個人の神様との出会いです。

 今私たちは共に集まって礼拝をささげている人たちもいますが、オンラインで礼拝をささげる人たちもいます。
 どこでどのように礼拝をささげるにしても、そこで神に出会っているか。
 今一度、一人一人が「私は礼拝の中で神に向き合っているだろうか」と見つめ直し、それぞれの礼拝改革、宗教改革を行っていこうではありませんか。

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