創世記37

振り返るな

創世記 19:14-29

14 ロトは嫁いだ娘たちの婿のところへ行き、「さあ早く、ここから逃げるのだ。主がこの町を滅ぼされるからだ」と促したが、婿たちは冗談だと思った。 15 夜が明けるころ、御使いたちはロトをせきたてて言った。 「さあ早く、あなたの妻とここにいる二人の娘を連れて行きなさい。さもないと、この町に下る罰の巻き添えになって滅ぼされてしまう。」 16 ロトはためらっていた。主は憐れんで、二人の客にロト、妻、二人の娘の手をとらせて町の外へ避難するようにされた。 17 彼らがロトたちを町外れへ連れ出したとき、主は言われた。 「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」18 ロトは言った。 「主よ、できません。 19 あなたは僕に目を留め、慈しみを豊かに示し、命を救おうとしてくださいます。しかし、わたしは山まで逃げ延びることはできません。恐らく、災害に巻き込まれて、死んでしまうでしょう。 20 御覧ください、あの町を。あそこなら近いので、逃げて行けると思います。あれは小さな町です。あそこへ逃げさせてください。あれはほんの小さな町です。どうか、そこでわたしの命を救ってください。」 21 主は言われた。 「よろしい。そのこともあなたの願いを聞き届け、あなたの言うその町は滅ぼさないことにしよう。 22 急いで逃げなさい。あなたがあの町に着くまでは、わたしは何も行わないから。」 そこで、その町はツォアル(小さい)と名付けられた。 23 太陽が地上に昇ったとき、ロトはツォアルに着いた。 24 主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、 25 これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もろとも滅ぼした。 26 ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。 27 アブラハムは、その朝早く起きて、さきに主と対面した場所へ行き、 28 ソドムとゴモラ、および低地一帯を見下ろすと、炉の煙のように地面から煙が立ち上っていた。 29 こうして、ロトの住んでいた低地の町々は滅ぼされたが、神はアブラハムを御心に留め、ロトを破滅のただ中から救い出された。

乗るのかい 乗らないのかい どっちなんだい

 港から船が出ようとしています。
 海の向こうの遠い国に旅立ちます。しばらく帰って来ることはできません。
 あなたは特別に選ばれ、その船のチケットを手に入れました。一生に一回のチャンスです。
 この船には重量制限があり、手持ちのカバン1つだけしか持ち込むことができません。
 あなたならカバンに何を詰め込みますか?多くの大切なものは置いておかなければなりません。
 出発の日、期待に胸を膨らませながら船に一歩足を踏み入れます。
 しかし同時に未練があります。大切なものを手放し、これまでの生活は続けられなくなる。
 まだやり残したことがあるからと、もう一方の足は岸に残っている。
 片方の足は船。
 片方の足は陸。
 このままだと海にドボン。
 大きな潮の柱が立つだけです。

日頃の信仰生活はどうであったか

信用してもらえない

 今日の本文はソドム滅亡の場面。
 2人の天使たちの目の前で、ソドムの男たちは性的堕落など人を人と思わない高慢さを見せました。有罪確定です。
 彼らを旅人としてもてなしてくれたロトに事情を話し、家族を連れて逃げなさいと伝えました。
 それを聞いてロトは、嫁いでいった娘たちのところに行きます。(以前ロトの娘は2人だと言いましたが、他にも娘たちがいたようです。すみません。)
 ロトは「さあ早く、ここから逃げるのだ。主がこの町を滅ぼされるからだ」と言いますが、出迎えた婿は冗談だと思って相手にしてくれません。
 時間的には真夜中です。「お義父さんが何か言ってる。酔っぱらっているのか?お義父さん飲むとすぐ記憶無くすくらい酒に弱いからな。」くらいに思われたのでしょう。
 それまでソドムの人たちは食べたり飲んだり、買ったり売ったり、植えたり建てたり、ごく普通の日常を送っていたわけです。この町が滅びるなんて夢にも思いません。

 ノアの時代も同じような状況がありました。
 ノアが陸上に巨大な舟を造っている。なぜこんなことをしているのかと聞かれ、主が大洪水で世界を滅ぼすからだと説明することもあったでしょう。
 しかし大雨が降り出したとき、誰一人箱舟に乗る人はいませんでした。
 乗った人はノアとその家族だけ。
 ノアの場合、息子の嫁たちは箱舟に乗りました。
 ロトの場合、娘の婿たちは冗談だと思いました。近い親族にも信用してもらえないロトさんかわいそう。

日々の生活の中で神に従う

 こういう時に日頃の積み重ねが出ます。
 普段から「オオカミが来たぞ」と叫んでいたら、本当にオオカミが来ても信用してもらえませんよね。
 「この人の言っていることは本当だ」と思ってもらえるような生活をしてください。

 聖書は私たちを、町に危険を伝える見張り、またキリストの証人だと言っています。世の終わりが近づく中で、唯一の道・真理・命であるイエス・キリストを紹介していきます。
 では皆さんがイエス・キリストの話をするとき、周りの人はどう反応するでしょうか。
 「この人の言うことなら耳を傾けてみよう」と思ってもらえますか。
 それとも「え、急にどうしたの?」と思われないでしょうか。
 日曜日に教会にいる間だけクリスチャンだったら、友だちからも家族からも信用してもらえません。
 家でも職場でも学校でも神様に従う人生を歩むなら、私たちがキリストを紹介する言葉に真実さが付きます。
 たとえ死の間際の数時間しか見ていなくても、「この人は本当に神の子だった」と言われます。

神が示したところに到達できない

躊躇

 もうすぐ夜が明けます。天使たちは早く逃げるようロトを急き立てます。
 しかしロトはためらいます。
 逃げるとなったら、多くのものを手放さなければなりません。
 荷物を抱えたままでは逃げられない。これまで蓄えてきた富を捨てなければならない。
 家も建てた。その安定した生活とはお別れをしなければならない。
 ソドムの町で努力して勝ち取った地位がある。それをリセットしなければならない。
 多くの友人がいる。そして愛する娘たちの家族がいる。それを捨てて逃げることは簡単ではありません。
 踏ん切りがつかないロトを主は憐れんで、天使たちがロトと妻、2人の娘の手を取って逃げるようにします。

避難

 町の外まで来たとき、主は言われました。「命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。」
 山へ行きなさいという具体的な指示がありました。そこまで命がけで逃げなければなりません。後ろを振り返っている場合ではありません。
 津波もそうですね。家に貴重品を取りに帰っている場合じゃない。他の人のことを気にしていられない。とにかく自分の命を守るために高いところに逃げる。

妥協

 しかしロトは弱音を吐きます。「無理です主よ、山までは逃げられません。」
 「ツォアルまでなら行けると思います。」
 憐れみ深い神様はロトの願いを聞き入れ、ロトがツォアルに着くまで何もしないと約束します。

 ツォアルまでで良いと言ってもらいましたが、神様が最初に指示した場所は山です。
 ロトは自分で限界を決め、「自分は山までは行けない。ツォアルまでしか行けない」と決めつけています。
 途中で妥協するなら、神が用意した祝福に到達することはできません。

 イスラエルの民が荒野を旅したとき、マラの水は苦くて飲めませんでした。
 荒野で飲める水がなくなったら死にます。
 諦めてエジプトに帰った方がいいのではないかと思わされます。
 しかしそのマラの先に、エリムというオアシスがありました。
 もう無理だと諦めたら、エリムの泉には到達できません。
 自分たちにはできないと限界を決めてしまったら、約束の地には入れません。
 神が行けと言ったなら、私たちがそこに行くまで神にも責任があります。
 約束の地まで行く力は神が与えてくれます。道は神が開きます。
 神は荒れ野に道を敷き、砂漠に大河を流れさせるお方です。

祝福

 ペトロたちが夜通し漁をしても魚が一匹も捕れなかった日がありました。
 舟から上がり、「家に帰って朝飯にするか。」「奥さんに何と言おう。」とつぶやきながら網を洗っています。
 そこにナザレのイエスが来て舟を借り、舟の上から群衆に教え始められました。
 そしてペトロに「沖にこぎ出して漁をしなさい。」と言います。
 漁師の自分が夜通し漁をしたのに1匹も捕れなかった。今から何をしても無駄だ。もう帰る支度もしている。そんな思いもあったでしょう。
 しかしペトロは自分の考えや計画を下ろし、イエスの言葉に従います。
 するとおびただしい数の魚が捕れました。

 神様が用意している祝福があります。
 「沖へ出でよ」と主が招いています。
 皆さんは今していることや自分の考えを手放し、舟に乗ることができますか。

後ろのものを忘れて神を見上げる

ソドムとゴモラの滅亡

ジョン・マーティン「ソドムとゴモラの破壊」

 日が昇る頃、ロトはツォアルに着きました。
 その時、主は天からの火でソドムとゴモラを滅ぼしました。
 低地一帯の全住民、草木もろとも滅んでしまいます。恐ろしい神の裁き。
 その前に神様は悔い改めの機会を与えてくださっていました。それを逃してはいけません。

振り返ってしまった結果

 ちょっと話がズレますが、もし皆さんが聖書の登場人物に会えるとしたら、誰に会いたいですか?

 私はエゼキエルやマルコに会ってみたいです。
 しかし残念ながら彼らはもう地上にいません。天国で会えるのが楽しみですね。
 ただ1人、この地上で会える聖書の登場人物がいます。
 それはロトの妻です。
 死海の近くに立っています。

 ロトの妻は後ろを振り返り、塩の柱になってしまいました。
 イエス・キリストは世の終わりが来ることを予告しながら「ロトの妻のことを思い出しなさい。」と言っています。
 自分の大切なものを握っているとそれを失い、手放すならかえって保つのです。
 ソドムに心惹かれて後ろを振り返ってはいけません。

このように振り返ってはいけない、見てはいけないという話は世界の各地にあります。
 日本では黄泉の国で振り返ったイザナギの神話がありますし、鶴の恩返しもそうですね。
 でも振り返るなと言われたら振り返りたくなります。
 見るなと言われたら見たくなります。
 押すなと言われたら、それって押せの意味ですよね。

神を見えなくさせるものに囚われるな

 振り返ること自体が悪いのではありません。
 むしろ過去を振り返ることは大事です。
 日頃の生活を顧みて、これまでの信仰生活がどうだったか振り返ってみてください。そうすることで悔い改め、神に向かって軌道修正できます。
 そんな中でも変わらない神様の愛、数えきれない恵みに気づかされ感謝がわいてきます。
 このように過去を振り返ることで神様を見上げることができます。

 しかし過去は私たちを引きずります。
 そして神様を見えなくさせることが多々あります。
 過去の失敗のために自分は神に愛される資格などないと思わされる。
 できなかったことや失ったものに未練を感じ、今ある恵みが見えない。
 あの頃は良かったなと過去の栄光にしがみつき、今の現実を受け入れられない。

 また今持ってるものも私たちを捕えます。
 今の安定した生活、持っている富、家族や友人。これらのものが私たちを捕え、神様に従うことを邪魔してきます。
 神様の招きに従おうとするときに後ろを振り返ってしまうなら、過去に囚われ、今が足を引っ張ります。

主の御業に期待する

 私たちは自分の思いや考えを手放して一歩を踏み出さなければ、神が用意している祝福を受け取ることができません。

 アブラハムは朝早く起きて、主と語り合った峠にまた行ってみました。
 そこでソドムとゴモラから煙が立ち上っているのを見ました。
 残念ながら彼が願った通りにはなりませんでした。
 そこで自分の思いにこだわるなら、神への怒りや失望がわいてきたでしょう。
 しかし彼は何も言いません。
 自分の思いを手放し、神がなさったことを受け入れます。
 全能の神が最善を成してくださると信じています。
 またアブラハムは、正しい人の祈りを神は聞いてくださると知っています。
 昨日の執り成しの祈りを神は聞いてくださった。残念ながら正しい人は10人もいなかったが、神が彼らを見捨てることはない。ロトとその家族は神が守ってくださっていると確信できます。
 自分の思いを手放し、過去に引きずられることなく、今主がなそうとしておられる新しい主の御業に期待するのです。

18 初めからのことを思い出すな。昔のことを思いめぐらすな。19 見よ、新しいことをわたしは行う。今や、それは芽生えている。あなたたちはそれを悟らないのか。わたしは荒れ野に道を敷き/砂漠に大河を流れさせる。

イザヤ書43:18-19

沖へ出でよ

 私たちの教会は今年20周年になります。
 これまでを振り返るとたくさんの恵みがありました。
 悔い改めるべきところもありました。
 それらを踏まえて神様を見つめ直してください。
 今の教会の状況を見たら、足りなさや無力さを感じるかもしれません。
 そのような思いに捕らえられることなく、ここで神様がしようとしておられることに期待してください。

 「沖へ出でよ。」と主が招いています。
 恵みの大海原へ船が出航しようとしています。
 私たちは期待に胸を膨らませながら、船に一歩を踏み入れた。
 そこでもう片方の足が過去に捕らえられ、今に縛られていてはいけません。
 両足そろえて船に飛び乗るのです。
 振り返るのは止めて。神が与えてくださる約束に向かって、飛び出してください。


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