創世記36
ソドムの罪
創世記 19:1-13
1 二人の御使いが夕方ソドムに着いたとき、ロトはソドムの門の所に座っていた。ロトは彼らを見ると、立ち上がって迎え、地にひれ伏して、2 言った。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。」彼らは言った。「いや、結構です。わたしたちはこの広場で夜を過ごします。」3 しかし、ロトがぜひにと勧めたので、彼らはロトの所に立ち寄ることにし、彼の家を訪ねた。ロトは、酵母を入れないパンを焼いて食事を供し、彼らをもてなした。4 彼らがまだ床に就かないうちに、ソドムの町の男たちが、若者も年寄りもこぞって押しかけ、家を取り囲んで、5 わめきたてた。「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」6 ロトは、戸口の前にたむろしている男たちのところへ出て行き、後ろの戸を閉めて、7 言った。「どうか、皆さん、乱暴なことはしないでください。8 実は、わたしにはまだ嫁がせていない娘が二人おります。皆さんにその娘たちを差し出しますから、好きなようにしてください。ただ、あの方々には何もしないでください。この家の屋根の下に身を寄せていただいたのですから。」9 男たちは口々に言った。「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる。」そして、ロトに詰め寄って体を押しつけ、戸を破ろうとした。10 二人の客はそのとき、手を伸ばして、ロトを家の中に引き入れて戸を閉め、11 戸口の前にいる男たちに、老若を問わず、目つぶしを食わせ、戸口を分からなくした。12 二人の客はロトに言った。「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。13 実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」
閉ざされた島で繰り返された犯罪
ある大富豪が、個人で所有する島にお客さんを招いてパーティーをしていました。そこには政治家や経営者などのセレブが招かれていました。大統領経験者や王族も含まれています。
そのパーティーには未成年の少女も連れて来られました。彼女たちはマッサージのアルバイトとして島に来ました。
しかし実際は、パーティーの参加者に性的なサービスをさせられたそうです。性的な人身売買です。
主催した大富豪は逮捕されましたが拘置所で死亡。自殺と見られます。
その後も彼と交流のあったセレブたちへの捜査が進められています。
閉ざされた島で行われていたおぞましい事件が世界を震撼させています。
アブラハムの時代であれば神様が降って来て、その罪の実態を確かめたことでしょう。
悔い改めの機会を与える
罪の実態を確かめる
主なる神様は2人の天使を連れて降って来ました。そのおもな目的は「ソドムとゴモラの罪が非常に重い」と訴える叫びが本当かどうか確かめることです。
天使たちは旅人の姿でソドムの町に入りました。
有罪判決を下すためには、証拠を集めなければいけませんね。
しかし神様にこのような手間は必要でしょうか。
全知の神様です。私たちが立つのも座るのも知り、言葉にしなくても心の思いまで見分けるお方。髪の毛の数まで把握されているのに、神様に隠しごとはできません。
だから私たちがどのような動機でどんな悪事を働いたのか、弁解の余地がありません。
わざわざソドムに行かなくても、有罪、死刑、でよかったではありませんか。
しかし神様はあえてその人のもとを訪ね、何をしたのかと尋ねられます。
どこにいるのか
神様はアダムが善悪の木の実を食べて隠れていることを知っていながら「どこにいるのか。」と聞きます。
カインがしたことを知っていながら「お前の弟アベルは、どこにいるのか。」と聞きます。
イエス・キリストはイスカリオテのユダが裏切ることを知っていながら「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」と言いました。
これは人がその罪を認め、悔い改める機会を与えるためです。
神は誰の死をも喜ばず、罪人が立ち帰って生きることを願っています。
もしかしたら主は私たちのところにも訪ねて来られ、私たちが愛という最も重要な掟に従っているか偵察しているかもしれません。
罪に染まった町
ソドムの町の門のところにはロトが座っていました。アブラハムの甥です。
門のところは町の有力者が集まって会議などが行われる場所でした。もしかしたらロトもソドムの町で地位を築いていたのかもしれません。
アブラハムとロトが分かれたのが何歳の時だったか明確には書かれていませんが、20年近く経っていたと思われます。ソドムの町の様子も知っているし、住民の中には知り合いも多くいたでしょう。
受け継がれたおもてなし精神
ロトが顔を上げると、見慣れない顔の2人が町に入ってきました。旅人のようです。
するとロトは立ち上がって彼らを迎え、地にひれ伏して言いました。「皆様方、どうぞ僕の家に立ち寄り、足を洗ってお泊まりください。そして、明日の朝早く起きて出立なさってください。」
おじのアブラハムも彼らをもてなしました。おもてなしの精神はロトにも受け継がれていたようです。
天使たちは遠慮しますが、ロトがぜひにと勧めるので彼の家に行きます。
そこでロトは自分でパンを焼き、旅人をもてなしました。
ロトも旅人をもてなすことで天使をもてなすことになりました。
ソドムで日々繰り返されるよこしまな行為
ここでロトが焼いたのは酵母を入れないパン。発酵の手間がいらないので、早く焼けます。
しかし硬いです。アブラハムがサラに焼かせたパン菓子とは違います。
せっかくお客さんにおもてなしをするのに、できるだけ早く食事を済ませてしまおうとしているようにも感じられます。
それはこの後にこの町で起こる騒動を予感していたからかもしれません。
長年ソドムの町に住み、この町で行われるよこしまな行為にロトは心を痛めていたと伝えられています。
7 しかし神は、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされていた正しい人ロトを、助け出されました。8 なぜなら、この正しい人は、彼らの中で生活していたとき、毎日よこしまな行為を見聞きして正しい心を痛めていたからです。
ペトロの手紙二2:7-8
なぶりものにしてやる
ロトが心を痛め、主が天使に確かめさせたソドムの罪とはどのようなものだったのでしょうか。
その夜、町の男たちがロトの家を取り囲みました。そして「今夜、お前のところへ来た連中はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」とわめきます。
なぶりものにするというのは、人をおもちゃのようにもてあそぶということです。
他の訳では原語そのままに「彼らを知りたい。」という表現になっています。曖昧な表現ですが、文脈からして性的な関係を持つという意味であることは明らかです。
性的な関係は本来、神様が人間に与えた祝福です。結婚した夫婦に許された神秘的なつながりです。
そして結婚は1人の男と1人の女性というのが聖書の原則です。
ここでソドムの人たちがしようとしていることは、明らかに聖書の原則から外れています。
そこに愛はなく、男たちが自分の性欲を満たすために旅人をおもちゃのようにもてあそぼうとしています。
娘を犠牲にしようとするロト
こういう町で生活しながらも、ロトは彼らの行為に加わることはありませんでした。彼らの前に出て行き、「あの方々には何もしないでください。」と断ります。
体を張って客人を守るロト。ですが彼もソドムの町で生活する中で倫理観が歪んでいます。
未婚の娘を差し出すと言うんですね。
当時の女の子は10代で結婚していましたから、娘たちは10代前半だったかもしれません。
自分の娘である少女を犠牲にしようとするとは、なんとひどい父親でしょう。
ある人たちは、ソドムの男たちは男性との性的関係を求めていたのだから、少女を差し出されたら興味を失うのではないかと、ロトを擁護します。
しかしこの場合、ソドムの男たちは同性を愛しているわけでもありません。
同じようなことが士師の時代にもありました。
その時は家の主人が自分の娘と、客人の第2夫人を差し出しました。
すると町の男たちは第2夫人をレイプし、死なせてしまいます。
町の男たちも家の主人も、女性を人として扱っていないのは明らかです。
ソドムの男たちも人を性欲のはけ口としてしか見ていません。
差別、暴力
ソドムの男たちは客人を守ろうとするロトに対して「そこをどけ。」「こいつは、よそ者のくせに、指図などして。」「さあ、彼らより先に、お前を痛い目に遭わせてやる。」と言います。
20年近く住んで地位も築いているのに、「よそ者」と言われてしまっています。
そして男たちは家の戸を無理やりこじ開けようとします。暴力的な手段に出ました。
そこで天使たちは男たちの目をくらませ、ロトを家の中に引き入れます。
ロトは客人を助けようとしましたが、逆に助けてもらいました。
人間的に良いと思ってやったことが、さらに問題を引き起こすことがあります。
救いは私たちの内にはありません。救いは神から来ます。
聖書の価値観から離れない
ソドムのおもな罪はこのような性的な堕落でした。
ロトは正しい人でしたが、影響を受けてしまいました。
私たちもこの世に影響されます。
この時代、この国に生きながら、様々な問題に心を痛めます。性的堕落、人身売買。差別や暴力。
ところが私たちは徐々にそれに慣れていきます。
そしてこの世の価値観に流されていく。
同性同士の性的関係についても現代は色々なことが言われます。
しかし聖書の原則は変わらない。この世の価値観がどんなに変わったとしても、聖書の価値観から離れてはいけません。
現代の日本において同棲や婚前交渉は当然のように行われます。
そこに本当に愛があるのか、よく確かめてみてほしいです。
お付き合いをしている男性から体の関係を誘われた。愛しているのだから、相手の期待に応えたいという思いもある。
しかしちょっと待ってください。相手は本当に自分を愛してくれているのか。
愛しているなら、自分の意志を尊重してくれるはず。
「自分のことも、あなたのことも大事にしたいから、結婚するまではできません。」と断ってみる。
そこで不満を表したり怒ったりするような男なら、逃げてください。そいつはあなたのことを愛してなどいません。
私たちは神のかたちに造られた尊い存在。それを互いに尊重しなければなりません。
忘れてはいけない大切な聖書の価値観です。
罪に染まった世界の中でどう生きるか
ソドムは有罪が確定しました。
「ほかに、あなたの身内の人がこの町にいますか。あなたの婿や息子や娘などを皆連れてここから逃げなさい。実は、わたしたちはこの町を滅ぼしに来たのです。大きな叫びが主のもとに届いたので、主は、この町を滅ぼすためにわたしたちを遣わされたのです。」
ソドムの滅亡は決定しました。残念ながらこの町に正しい人は10人もいませんでした。
ただしノアとその家族が大洪水から救われたように、ロトとその家族には救いの道が用意されていました。
高慢、愛の欠如
神様が悔い改めの機会を与えてくださったにも関わらず、彼らは天使たちの目の前で堕落の実態を見せてしまいました。神様の目の前で罪を犯したに等しいです。
このソドムの町のことは聖書の中で繰り返し語られています。堕落した町の象徴、裁きの象徴として。
エゼキエル書では、ソドムの罪が性的堕落だけではなかったと語られています。
49 お前の妹ソドムの罪はこれである。彼女とその娘たちは高慢で、食物に飽き安閑と暮らしていながら、貧しい者、乏しい者を助けようとしなかった。50 彼女たちは傲慢にも、わたしの目の前で忌まわしいことを行った。そのために、わたしが彼女たちを滅ぼしたのは、お前の見たとおりである。
エゼキエル書16:49-50
ソドムの町は高慢で、愛がなかった。
神から離れた人間は、自分が神のようになろうとします。
そして他の人を支配したいという欲望がわいてきます。人を虐げ、弱い人を見捨てる。
その一つのかたちとして性的堕落も起こります。
相手を神に造られた尊い存在として認めず、自分の性欲のはけ口として利用する。
ソドムは今も世界中にある
私たちはソドムの罪を見ながら、本当にひどい町だなと思いますね。こんな町は天からの火で滅んで当然だと。
しかしソドムだけが人類の歴史上際立って堕落していたとは言えません。
現在のこの世界でも性的な堕落があり、高慢で愛のない人たちがこの世を支配している。
最初に話した事件は氷山の一角です。
首謀者の大富豪と同じようなことが世界中で行われ、そのお友だちが影響力ある立場に居座っています。人を人と思わないような人間が、世界を支配しています。
ソドムのような町が世界中にある。
今いるこの町も、ソドムよりひどいかもしれない。
解決はキリストの福音にある
そのような町で私たちはどのように生きていったらいいのでしょう。
私たちは祝福の源。私たちを通して世界を祝福したいと神様は願っています。
イエス・キリストは私たちを地の塩、世の光だと言いました。
塩は腐敗を防ぎます。私たちを通してこの町が堕落していくのを防ぐことができる。
光に照らされると隠れていたものが明らかにされます。私たちを通して神の栄光を表わし、隠れたところで行われている悪事を暴いていく。
理想としてはそうなのですが、現実的には逆にこの世に影響されてしまいます。
救いは私たちの内にはありません。救いは神から来ます。
聖霊なる神様が私たちに力を与えてくれます。
イエス・キリストはどのような罪をも清めることができます。
どんなに罪に染まっているとしても、キリストの血によって洗われるなら雪よりも白くなります。
私たちがキリストの福音を伝えていくとき、罪に染まった町も回復に向かっていきます。

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