ペンテコステ礼拝

創世記35

地上の星

創世記 18:16-33

16 その人たちはそこを立って、ソドムを見下ろす所まで来た。アブラハムも、彼らを見送るために一緒に行った。17 主は言われた。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。18 アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。19 わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」20 主は言われた。「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。21 わたしは降って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」22 その人たちは、更にソドムの方へ向かったが、アブラハムはなお、主の御前にいた。23 アブラハムは進み出て言った。「まことにあなたは、正しい者を悪い者と一緒に滅ぼされるのですか。24 あの町に正しい者が五十人いるとしても、それでも滅ぼし、その五十人の正しい者のために、町をお赦しにはならないのですか。25 正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」26 主は言われた。「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」27 アブラハムは答えた。「塵あくたにすぎないわたしですが、あえて、わが主に申し上げます。28 もしかすると、五十人の正しい者に五人足りないかもしれません。それでもあなたは、五人足りないために、町のすべてを滅ぼされますか。」主は言われた。「もし、四十五人いれば滅ぼさない。」29 アブラハムは重ねて言った。「もしかすると、四十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その四十人のためにわたしはそれをしない。」30 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう少し言わせてください。もしかすると、そこには三十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「もし三十人いるならわたしはそれをしない。」31 アブラハムは言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、二十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その二十人のためにわたしは滅ぼさない。」32 アブラハムは言った。「主よ、どうかお怒りにならずに、もう一度だけ言わせてください。もしかすると、十人しかいないかもしれません。」主は言われた。「その十人のためにわたしは滅ぼさない。」33 主はアブラハムと語り終えると、去って行かれた。アブラハムも自分の住まいに帰った。

地上にいる隠れたスターたち

風の中のすばる
砂の中の銀河

草原のペガサス
街角のヴィーナス

 NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」の主題歌である中島みゆきさんの「地上の星」の歌詞です。
 すばるは星がぎゅっと集まった星団。銀河は天の川。この流れで行くとペガサスはペガスス座、ヴィーナスは金星(明星)のことです。
 これらの輝くスターはどこにいるのか。
 普通は空を見上げて探します。
 しかし実は、草原や街角など私たちが立っている地上に隠れたスターがいる。そして彼らは多くの人に知られることなく、立ち去っていく。
 無名の人々の活躍に焦点を当てた番組の主題歌にふさわしい歌詞となっています。

 今のこの社会を築き上げてきたのは歴史に名を残す偉人たちだけではありません。
 名もなき人々の存在があって、今の私たちの生活があります。
 そして私たちもまたこの世界を次の世代に受け渡していきます。
 神の御心も、輝くスターのような信仰者によって成し遂げられるわけではありません。
 私たちも地上の星の一つとして、神の栄光をこの地に表していくのです。

神の友

 先週はアブラハムが3人の旅人をもてなす場面を見ました。彼らは主と2人の天使たちでした。
 彼らはアブラハムに呼び止められたのでもてなしを受けましたが、目的地は別にありました。それでヘブロンから東の方へ出発します。アブラハムも彼らを見送るためについて行きます。
 見送ると言っても家の前までとかじゃないんですね。峠まで一緒に行きます。おそらく10㎞近く歩いています。ここにも半端ないアブラハムのおもてなし精神が表れていますね。
 その峠の上からは周囲を見渡すことができます。西にはヘブロンがあり、東には低地の町々がある。そこにはソドムやゴモラといった都市があります。
 以前も同じような場所に立ったことがあります。それは甥のロトと分かれた時でした。あれからロトはソドムに住むことになったのでした。

一緒に御心を成し遂げる友

 その後も色々あったななどと思い出に浸っていると、主がアブラハムに語りかけました。「わたしが行おうとしていることをアブラハムに隠す必要があろうか。」
 神様はアブラハムにご自分の計画を明らかにしようとしています。
 いや、逆に神様がご自分の計画を人に話す必要があるでしょうか。
 主なる神様はご自分の御心を行えばいいです。人の思いをはるかに超えて偉大なことをなさるお方ですから、人はただそれに従うだけです。人に話したところで神の計画が変わることはないし、どうせ人には理解できません。
 しかしそのような関係性に愛があると思いますか?これでは命令に従うだけの奴隷やロボットと同じです。
 神様は私たちと愛の関係を築きたいと願っています。
 御心を行うための道具として使いたいのではない。
 一緒に御心を成し遂げる友になりたいと願っているのです。
 イエス・キリストは弟子たちにこう言いました。

もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

ヨハネによる福音書15:15

 神はご自分の計画を明らかにすることで、アブラハムを友として扱っています。

祝福の源

 では神様の計画とはどのようなものか。
 「アブラハムは大きな強い国民になり、世界のすべての国民は彼によって祝福に入る。わたしがアブラハムを選んだのは、彼が息子たちとその子孫に、主の道を守り、主に従って正義を行うよう命じて、主がアブラハムに約束したことを成就するためである。」
 アブラハムを通して世界のすべての国民が祝福に入る。世界の祝福の源になるという約束の実現です。
 そしてこの約束は、アブラハムの信仰の模範に従う子孫に受け継がれていきます。
 順番としては、神の祝福はアブラハムからその子孫に受け継がれる。そして子孫から周りの人たちに伝えられていきます。

 私たちも信仰によるアブラハムの子孫。
 ですから私たちも世界の祝福の源です。このことを覚えておいてください。
 神の祝福に関しては申命記28章に具体的に語られています。

2 あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、これらの祝福はすべてあなたに臨み、実現するであろう。3 あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。4 あなたの身から生まれる子も土地の実りも、家畜の産むもの、すなわち牛の子や羊の子も祝福され、5 籠もこね鉢も祝福される。6 あなたは入るときも祝福され、出て行くときも祝福される。

申命記28:2-6

 神様は私たちがどこにいても祝福してくださる。町でも野でも。家にいても職場や学校であっても。
 家族も祝福される。仕事の成果も祝福される。そして使う道具も。
 私たちが入るところに祝福が注がれるなら、出るところにも祝福がある。出会った友達にも、何気なく入ったコンビニにも祝福があります。
 素晴らしい約束です。

神様の祝福を送り届ける

 その祝福は主なる神様に聞き従う時に受け取ることができます。
 大事なのは神様との関係性です。
 私たちは主人の命令にペコペコ頭を下げて従う奴隷ではない。
 主人の祝福を流すだけのホースのような道具ではない。
 私たちはキリストと共に、この世界を祝福するのです。
 神様が祝福したいと御顔を向けておられるところに私たちも目を向け、いただいた神の愛をもって愛の手を差し伸べるのです。
 そのために祈りが欠かせません。神様とコミュニケーションを取らないと、神様が今どこに関心を持っておられるのかわかりませんから。
 キリストは私たちを友としてくださいました。イエス様と親しく語り合いながら、神様の祝福を家庭に、職場に、学校に、この町に送り届けていきましょう。

祈りの中で変えられていく

 神様は友人アブラハムに、この地上に降って来られた真の目的を明かします。
 それは、ソドムとゴモラの罪が非常に重いという訴えが本当かどうか確かめるということです。
 それで二人の天使はソドムに向かいます。
 実際にソドムの罪が重たければ、主は裁きを下します。正義の神は罪に染まった町を滅ぼしてしまうでしょう。
 

神様に物申す

 恐ろしい話を聞いてしまいました。1つの町が滅ぼされようとしている。
 アブラハムは以前ソドムから奪われた捕虜や財産を取り返すために戦ったことがあります。それでソドムが大きな町であることを知っています。
 そこに住む多くの人々が滅ぼされようとしている。その中には自分の甥ロトも含まれています。ロトも結婚し、2人の娘がいる。最近その娘たちも結婚したらしい。

 主なる神様はまだアブラハムのそばにいました。
 それでアブラハムは主の前に進み出て言います。「本当ですか。もしかしたらあの町には50人の正しい人がいるかもしれません。それでもあの町を滅ぼすのですか。」「正しい者を悪い者と一緒に殺し、正しい者を悪い者と同じ目に遭わせるようなことを、あなたがなさるはずはございません。全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
 神様にこのように物申すことは勇気がいります。「これは何者か。知識もないのに神の経綸を隠そうとするとは。」と叱られてしまうかもしれないし、「退けサタン」と言われてしまうかもしれない。
 それでもいい。神から何と言われようと、この身がどのようになろうと構わない。
 ソドムの町を救いたいというアブラハムの思いが伝わってきます。

神様との交渉

 これを聞いて神様は「もしソドムの町に正しい者が五十人いるならば、その者たちのために、町全部を赦そう。」と言ってくださいました。
 やった!神様は祈りを聞いてくださった。
 ソドムの町の中にも、その罪を嘆いて叫ぶ者がいたわけです。その祈りを聞いて神様が降って来られた。それならその町を無慈悲に滅ぼすわけがありません。
 でもアブラハムには少し不安がありました。「50人って言っちゃったけど、けっこうな数だぞ。あの町に50人いるかな」
 それで「50人に5人足りないかもしれません」と言ってみました。
 そうしたら神様は「45人いれば滅ぼさない。」と言ってくれました。よしよし。
 いや、待てよ。40人しかいないかもしれない。
 「その40人のためにわたしはそれをしない。」
 これ以上言ったらさすがに怒られるかな。「30人は…。」
 「もし30人いるならわたしはそれをしない。」うわ、神様優しい。
 いや、でもあえてもう少し言わせて。「もしかしたら20人しかいないかもしれません。」
 「その20人のためにわたしは滅ぼさない。」ありがとうございます!
 でももう一回だけ!これ本当に最後だから。「10人は?」
 「その10人のためにわたしは滅ぼさない。」
 ソドムには少なくともロトがいます。その家族、婿まで入れたら6人。10人くらいならクリアできそうです。
 これで主はアブラハムとの会話を終え、去っていきました。アブラハムも自分の家に帰りました。

主導権は神にある

 この話、私個人としてはアブラハムのエピソードの中で一番好きな場面です。神様がここまで1人の人間の祈りを聞いてくださるなんて。祈りは聞かれているのですね。
 しかし気をつけなければならない点があります。
 アブラハムとの対話によって、神様は変わったのでしょうか。祈りによって神様は動かされたのでしょうか。
 一見するとアブラハムが主導権を握っているかのように見えます。
 しかしこの話を切り出したのは神様です。
 ソドムの罪を確かめに来たのだと言った後、主なる神様はあえてその場所に留まる。まるでアブラハムの反応を待つように。
 そしてアブラハムに言いたいことを言わせて、安心したところで神様が話を終える。
 実は神様の方が主導権を握っています。

 この祈りで変えられたのは神様ではありません。アブラハムの方です。
 正しい者の祈りを聞いてくださる神様の慈しみ深さを知って、アブラハムは主に委ねる思いが与えられました。

神の御心との一致のために自分が変わる

 祈りにおいて重要なのは、神様を自分の願い通りに動かすことではありません。
 神様の御心に合うように、自分が変えられることです。
 「アバ父よ、この杯をわたしから取りのけてください」と素直な思いを打ち明けることは大事です。
 しかしそうならなかったとしても「わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」と神の御心の成就を受け止める者になるのです。

 皆さんも祈りの中で神様に文句を言いたくなることもあるでしょう。
 「何でこんなことが起こるのですか。」
 「なぜ何もしてくれないんですか。いつまで沈黙しているんですか。」
 「あなたは愛の神だというのに、この状況を放っておくのですか。」
 「全くありえないことです。全世界を裁くお方は、正義を行われるべきではありませんか。」
 そのような思いをぶつけて大丈夫です。
 やがて私たちは変えられていきます。
 相変わらず神は沈黙し何もしていないかのように見える。
 しかし神が既に助けの手を送り、自分の思いをはるかに超えて偉大なことを成し遂げられていたことを知る。
 御子の死によって全人類の罪を赦した神は、愛の神であり正義の神。
 主は今も生きておられる。昨日も今日も永遠に変わることなく、正義と愛を最も美しいかたちで両立される。
 この方の慈しみにすべてを委ねる者に変えられていきます。

祝福が周りに流れていく

町の祝福を祈る

 アブラハムはソドムの町のために祈りました。
 これが全世界を祝福する祝福の源の姿です。
 私たちは町のために祈ることが求められています。
 たとえそこがソドムやバビロンのような罪に汚れているとしても、その町の祝福を祈るのです。
 私たちを通して周りの人々が祝福され、町が祝福されます。

神の栄光を表わす地上の星

 主なる神様はアブラハムに空の星を見せながら「あなたの子孫はこのようになる」と言われました。夜空に輝く満天の星のように、アブラハムの子孫が増え広がる。
 今その子孫たちはどこにいるのですか。
 星のようになるといっても、空にいるわけではありません。地上にいます。
 私たちが立つこの地上に、地上の星たちがいます。

 私たちもアブラハムの信仰にならう神の民。
 神の御心に従い祝福を流す地上の星です。
 イエス・キリストはこう言っています。

あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。

マタイによる福音書5:14

 私たちを通して神の栄光が表されていきます。私たちの存在、生き様を見て人々は神を知るようになります。

聖霊の力で

 今日はペンテコステ。
 弟子たちは聖霊を受けて、世の中に遣わされていきました。
 イエスを主と信じる私たちも聖霊を受けました。
 その聖霊の力によって、私たちは神の御心をこの地上に成し遂げていきます。
 自分の家庭、職場、学校、住んでいる町、そして地の果て祝福が流れていきます。

 キリストは私たちの友だち。
 イエス様と親しく語り合いながら、神様の御心を共に行っていく。
 私たちは祝福の源。
 地上の星として、神様の栄光を現わしていきます。


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