創世記39

神のクリニック

創世記 20:1-18

1 アブラハムは、そこからネゲブ地方へ移り、カデシュとシュルの間に住んだ。ゲラルに滞在していたとき、2 アブラハムは妻サラのことを、「これはわたしの妹です」と言ったので、ゲラルの王アビメレクは使いをやってサラを召し入れた。3 その夜、夢の中でアビメレクに神が現れて言われた。「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は夫のある身だ。」4 アビメレクは、まだ彼女に近づいていなかったので、「主よ、あなたは正しい者でも殺されるのですか。5 彼女が妹だと言ったのは彼ではありませんか。また彼女自身も、『あの人はわたしの兄です』と言いました。わたしは、全くやましい考えも不正な手段でもなくこの事をしたのです」と言った。6 神は夢の中でアビメレクに言われた。「わたしも、あなたが全くやましい考えでなしにこの事をしたことは知っている。だからわたしも、あなたがわたしに対して罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかったのだ。7 直ちに、あの人の妻を返しなさい。彼は預言者だから、あなたのために祈り、命を救ってくれるだろう。しかし、もし返さなければ、あなたもあなたの家来も皆、必ず死ぬことを覚悟せねばならない。」8 次の朝早く、アビメレクは家来たちを残らず呼び集め、一切の出来事を語り聞かせたので、一同は非常に恐れた。9 アビメレクはそれから、アブラハムを呼んで言った。「あなたは我々に何ということをしたのか。わたしがあなたにどんな罪を犯したというので、あなたはわたしとわたしの王国に大それた罪を犯させようとしたのか。あなたは、してはならぬことをわたしにしたのだ。」10 アビメレクは更に、アブラハムに言った。「どういうつもりで、こんなことをしたのか。」11 アブラハムは答えた。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。12 事実、彼女は、わたしの妹でもあるのです。わたしの父の娘ですが、母の娘ではないのです。それで、わたしの妻となったのです。13 かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に、『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄ですと言ってくれないか』と頼んだのです。」14 アビメレクは羊、牛、男女の奴隷などを取ってアブラハムに与え、また、妻サラを返して、15 言った。「この辺りはすべてわたしの領土です。好きな所にお住まいください。」16 また、サラに言った。「わたしは、銀一千シェケルをあなたの兄上に贈りました。それは、あなたとの間のすべての出来事の疑惑を晴らす証拠です。これであなたの名誉は取り戻されるでしょう。」17 アブラハムが神に祈ると、神はアビメレクとその妻、および侍女たちをいやされたので、再び子供を産むことができるようになった。18 主がアブラハムの妻サラのゆえに、アビメレクの宮廷のすべての女たちの胎を堅く閉ざしておられたからである。

問題を抱えた人が集まる場

 皆さんは病気の人が集まるところに自分から行きたいと思いますか?
 ちょっと怖いですね。自分も病気になってしまうのではないかと心配になります。

 では病気を治してくれる場所はどうですか?
 病気に悩んでいる人なら行きたいと思いますよね。

 病気の人が集まる場所と病気を治してくれる場所。
 どちらも同じ場所です。病院と言います。
 医者が病気の人を診て治療してくれます。
 見方によって、病院は近寄りたくない怖い場所にもなるし、困ったときに頼れる場所にもなります。

 教会という場所も様々な問題を抱えた罪人たちがやってくる病院のような場所です。
 罪人のたまり場のような怖い場所ではありません。
 罪に悩む人が神様に出会い、罪赦され、新しくされていく恵みの場所です。

問題点は神の前にさらけ出されている

 しばらくロトの話が続きましたが、アブラハムの話に戻ります。
 17章18章でアブラハムは、サラとの間に息子イサクが生まれると告げられました。いよいよ大いなる国民の父になるための第一歩を踏み出します。
 すでにイシュマエルが与えられているので、既に父親ではあります。しかし約束の子の父とはなっていません。

父になるには訓練が必要

 父になるとはどういうことでしょうか。
 奥さんのお腹に赤ちゃんが来たら、血のつながりとしては父になります。
 赤ちゃんが産まれて出生届を出したり、里子ちゃんなどと養子縁組をしたりすれば戸籍上は父になります。
 しかしそれらと実際に父親として子どもを愛せるかどうかということには、大きな隔たりがあります。
 母親は自分のお腹に赤ちゃんを宿し、様々な変化を体験します。そして痛み苦しみを乗り越えて赤ちゃんと対面します。だから生まれたわが子を愛おしく感じずにはいられません。
 男はそういう痛みや苦しみを通らずに父親になってしまいます。
 何も準備をせずにいきなり父になれるはずがありません。
 家族を愛し守れる父親になるために訓練が必要です。

サラを妹だと言う

 アブラハムはヘブロンから南に移動し、ネゲブ地方のゲラルというところに滞在しました。そこはアビメレクと呼ばれる王が治めていました。アビメレクというのは王様の名前というより、ファラオのような称号だったようです。
 ここでアブラハムには心配がありました。
 サラは美しい。90歳になったけれど、成熟した美しさがある。
 もしまだお互い独身だったらやっぱり「結婚してください!」って言っちゃうよな。
 待てよ、もしかしたらアビメレクもサラと結婚したいと思うかもしれない。
 私がサラの夫だとわかったら、きっと私は殺される。ここの人たちは神を恐れることがない野蛮な人たちだからな。
 それでアブラハムはサラのことを「これはわたしの妹です」と紹介しました。
 サラが独身だと思ったアビメレクは彼女を奥さんの一人として迎え入れました。
 年齢は調べなかったんでしょうか。相当若く見えたんでしょうね。
 資産状況は調べたと思います。この箇所ではサラの美しさについて一言も触れられていません。おそらくアブラハムの財産や影響力を手に入れるための政略結婚でしょう。

アブラハムの弱点

 ここまで創世記を読み進めてきた皆さんはお気づきだと思いますが、同じようなことが前にもありました。
 12章です。エジプトでもアブラハムはサラを妹だと言って問題を起こしていました。
 あの時は75歳。今はもうすぐ100歳になろうとしている。25年経っても同じようなことをしています。
 この2回だけではありません。13節でアブラハム自身が言っていますが、これは信仰の旅を始めた時からずっとつき続けてきたウソでした。
 自分を守るためにウソをつく。
 これはアブラハムが抱え続けてきた弱点でした。
 そのために妻のサラを他の男に奪われてしまいます。
 それだけではありません。サラを引き離されてしまったら、サラとの間に生まれるという約束の子イサクはどうなるのでしょう。
 神の計画さえも危険にさらしています。

神の言葉が罪過ちを思い起こさせる

 人は誰しも弱点があります。
 自分には弱点などないと虚勢を張るのも弱点です。
 私たちはこの競争社会を生き抜くために自分の弱いところを覆い隠し、自分を大きく見せようとしてきました。
 しかしその隠してきた恥ずかしい部分も、神の前にはさらけ出されています。

12 というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。13 更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。

ヘブライ人への手紙4:12-13

 神の言葉は生きていて、私たちの心に突き刺さってきます。
 皆さんも経験があるでしょう。聖書を読みながら、祈りながら、今まで隠してきた恥ずかしい罪過ちが思い起こされます。
 神様には私たちの問題がお見通しです。
 恐ろしいことですね。
 もしかしたら「今日は教会に行きたくないな」「教会の人に会いたくないな」と思う時があるかもしれません。
 それは神様に隠したい何かを抱えているからではありませんか?

神が治療する

 それからアビメレクの宮廷である異変が起こりました。
 宮廷につかえる女性たちが誰も子どもを産むことができなくなってしまったのです。
 何人か出産予定の人がいたようですが、赤ちゃんが出てきてくれません。アビメレクの正妻である王妃も、仕える侍女たちも。
 アビメレクが新しい奥さんを迎えた喜びの日のはずが、何だか不気味な感じのする日になってしまいました。

 その夜アビメレクはサラに近づこうとはせず、1人で寝ました。
 すると夢の中で神がこう言います。「あなたは、召し入れた女のゆえに死ぬ。その女は夫のある身だ。」
 いきなりの死の宣告。
 いや、待って。夫がいるなんて聞いてないよ。
 一緒にいたおじいさんが夫だったの?あの人「妹だ」って言ってたじゃん。
 サラさんにも確認して「兄です」って言ったから結婚したのに。
 アビメレクの弁明を聞いて神様は「あなたが悪い考えで結婚したのではないことを知ってる。だから姦淫の罪を犯さないように守った。」と言います。
 死の宣告には驚かされますが、神様はアビメレクを罰しようとしているわけではありません。
 アブラハムの弱点を明らかにするために、この出来事が起きるようにしました。
 それで「アブラハムの妻を返さないと死ぬよ」と脅しながら、サラをアブラハムに返すようにします。

アブラハムは預言者

 ここで神様はアブラハムのことを『預言者』と言っています。
 聖書の中に何人も預言者が出てきますが、最初に預言者と呼ばれたのがアブラハムです。
 預言者というのは何をする人でしょうか。
 神様からの言葉を預かり、前もって語る人です。
 預言者はウソをついてはいけません。神様が危険を伝えているのに「大丈夫、平和があるよ。」とごまかしていたら、差し迫った危険から逃れられません。
 預言者は神様からの祝福を伝えることもあります。祝福を流す祝福の源です。
 アブラハムは全世界を祝福する祝福の源になると約束されています。
 それなのに彼は妻を守らず、これから生まれる息子も危険にさらしています。
 自分の家族を守れない人に全世界を祝福することができますか?
 『預言者』と呼ばれていますが、預言者失格です。

アブラハムの心にあるもの

 翌朝、アビメレクは家来たちに集合をかけます。そして主なる神様から言われたことを伝えました。それで彼らに神への畏れが生じました。
 それからアビメレクはアブラハムを呼び出します。「あなたは何ということをしてくれたのだ。あなたのせいで昨日は大変だったんだぞ。どういうつもりだ?」
 アブラハムはこう答えます。「この土地には、神を畏れることが全くないので、わたしは妻のゆえに殺されると思ったのです。」
 サラを妹だと言ったのは、あなたたちのせいだ。だって神を知らない人たちだから私を殺すかもしれないでしょう。
 私が悪いのではない。悪いのはあなたたちだ。このように責任転嫁しています。
 またアブラハムはサラが腹違いの妹であることを明らかにして、こう言います。「かつて、神がわたしを父の家から離して、さすらいの旅に出されたとき、わたしは妻に、『わたしに尽くすと思って、どこへ行っても、わたしのことを、この人は兄ですと言ってくれないか』と頼んだのです。」
 ちょっと気になる言いぐさではありませんか。神が私を父の家から離して、さすらいの旅に出されたのだと。
 このさすらいの旅に出すという表現は、原語では惑わすとか迷わすという意味の言葉が使われています。
 神が私を迷わした。神のせいでこんな神を知らない土地に来させられた。だからウソをつくしかなかったんだ。
 こうなったのは、あなたたちのせいであり、神のせいだ。
 アブラハムが心に秘めていたものが言葉の端ににじみ出ています。

メスを入れるのは癒すため

 神様はこの事件を通してアブラハムの問題点を明らかにします。
 自己保身のためにウソをつく。自分を守るためなら家族をも捨てる。責任転嫁する。そして自分を正しい者とするために神が間違っていると言う。
 こんな人が信仰の父と言えますか。信仰の旅もここで終わりか…。
 いいえ、神様がここでアブラハムの問題点を指摘したのは、これからアブラハムが真に預言者として歩めるようにするためです。
 アブラハムが約束の子イサクの父となり、大いなる国民の父となる。
 そして家族を守り、世界を祝福するようになるためです。
 この出来事の後でアブラハムが神に祈ると、宮廷の女性たちは再び子を産むことができるようになりました。汚名返上です。

 神様は私たちの罪を指摘します。
 それで終わりではありません。
 病院で医者は私たちを診察し、どこに問題があるかを明らかにします。
 それで終わりではありません。治療が始まります。
 外科の医者であれば、体にメスを入れることがあります。
 私たちを傷つけるためではありません。体の中に隠れた悪い物を取り除き、癒すためです。
 私たちが健康になり命に満ちあふれるようにするために、医者は私たちを刺し通します。
 神の言葉が私たちを刺し通すのも、私たちを癒すためです。
 神様の前に私たちの罪深さはさらけ出されています。
 それでも神はありのままの私たちを愛しています。
 その愛で包んで私たちを癒し生かすために、神の言葉というメスを入れます。

病人にこそ医者が必要

 イエス様の12人の弟子たちもそれぞれ問題を抱えていました。
 徴税人のマタイもイエス様の弟子とされました。
 当時、徴税人は誰からも忌み嫌われる罪人でした。
 そんな自分がイエス様の弟子にされた。マタイは喜んでパーティーを開きました。
 マタイがパーティーに呼べる友だちは、やはり罪人。罪人たちのパーティーにイエス様も同席して一緒に食事をしました。
 それを見た律法学者たちはイエス様を非難しました。
 イエス様はこう答えます。

イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」

マルコによる福音書2:17

 救い主イエス・キリストが来たのは正しい人のためではありません。救いを必要とする罪人たちのためです。
 罪人たちを探し、神の前に招き、罪赦された者として生かすためです。

問題を認めるところから癒しが始まる

 教会には様々な問題を抱えた人たちがやってきます。皆さんもそうですね。もちろん私もです。
 自分の罪を皆の前で言い表す必要はありません。
 でも神様の前では正直に打ち明けてください。「今私はこういう問題を抱えています。」「私の心の中にはこんな醜い思いがあります。」
 家族にも言えない。親友にも言えない。そんな恥ずかしい罪も神様は知っています。
 知った上で、愛してくれています。
 だから安心して打ち明けられます。
 自分の問題を認めるところから、癒しが始まります。

 神様は私たちをありのままで愛している。
 しかしありのままで放ってはおきません。
 神様はアブラハムの問題を指摘し、信仰の父、祝福の源として歩んでいけるように治療してくださいます。
 問題ある人々はイエス様のところに来て変えられていきました。
 おっちょこちょいでよく失敗し3回もイエスを否認したペトロが、岩のような堅い信仰をもって教会のリーダーになりました。
 サマリアにもソドムのように火の雨を降らせようかと言った怒りっぽいヨハネにイエスは母マリアを託し、愛の使徒に造り変えました。
 神様は私たちをも、神の子どもとしてふさわしく造り変えていってくれます。

 生きている神の言葉が私たちの罪を指摘する。それを素直に認めてください。
 その罪はイエス・キリストの十字架によって既に赦されています。
 古い人はキリストと共に死にました。
 今は復活の主に結ばれ、新しく造られた者とされています。
 皆さんが日々の生活の中でこの神の癒し、赦しを受け取って、新しい一歩を踏み出せるよう祈ります。
 お大事になさってください。


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