創世記42

誓いの井戸

創世記 21:22-34

22 そのころ、アビメレクとその軍隊の長ピコルはアブラハムに言った。「神は、あなたが何をなさっても、あなたと共におられます。23 どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓って(シャバ)ください。わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも、寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください。」24 アブラハムは答えた。「よろしい、誓いましょう。」25 アブラハムはアビメレクの部下たちが井戸を奪ったことについて、アビメレクを責めた。26 アビメレクは言った。「そんなことをした者がいたとは知りませんでした。あなたも告げなかったし、わたしも今日まで聞いていなかったのです。」27 アブラハムは、羊と牛の群れを連れて来て、アビメレクに贈り、二人は契約を結んだ。28 アブラハムは更に、羊の群れの中から七匹(シェバ)の雌の小羊を別にしたので、29 アビメレクがアブラハムに尋ねた。「この七匹の雌の小羊を別にしたのは、何のためですか。」30 アブラハムは答えた。「わたしの手からこの七匹の雌の小羊を受け取って、わたしがこの井戸(ベエル)を掘ったことの証拠としてください。」31 それで、この場所をベエル・シェバと呼ぶようになった。二人がそこで誓いを交わしたからである。32 二人はベエル・シェバで契約を結び、アビメレクと、その軍隊の長ピコルはペリシテの国に帰って行った。33 アブラハムは、ベエル・シェバに一本のぎょりゅうの木を植え、永遠の神、主の御名を呼んだ。34 アブラハムは、長い間、ペリシテの国に寄留した。

慈しみの誓い

 アブラハムはカナン地方の南にあるネゲブ地方に長く滞在していました。そこにはゲラルやべエル・シェバといった都市がありました。
 当時これらの都市を治めていたのはペリシテ人アビメレク。20章ではアブラハムが妻のサラを妹だと言ってアビメレクを欺きました。
 多くの召し使いと家畜を抱えるアブラハムには大きな影響力があります。政略結婚によってその影響力を味方につけようと、アビメレクは90歳のサラを妻の1人に迎えました。
 神はサラを守るため、アビメレクに死を宣告し、王宮の女性たちは子を産むことができなくなりました。
 このように問題を起こすアブラハムでは大いなる国民の父にはなれないし、祝福の源にはなれません。
 神様はこの事件をきっかけに、アブラハムが自己保身のウソを止め、神を信頼して家族を守り、周りの人に祝福をもたらす存在に造り変えてくださいました。
 アブラハムが祈ると、宮廷の女性たちは再び子どもを産めるようになりました。アビメレクへの死の宣告も取り消されました。

友好的な態度をとってください

 その後イサクが生まれ、ハガルとイシュマエルは去っていきました。
 ハガルたちはべエル・シェバの荒れ野をさまよっていましたが、同じ頃アブラハムたちもべエル・シェバにいました。そこもアビメレクの領土になっています。
 アビメレクはアブラハムに言いました。「神は、あなたが何をなさっても、あなたと共におられます。どうか、今ここでわたしとわたしの子、わたしの孫を欺かないと、神にかけて誓ってください。わたしがあなたに友好的な態度をとってきたように、あなたも、寄留しているこの国とわたしに友好的な態度をとってください。」
 神が共にいるというのはただの社交辞令かもしれませんが、アブラハムの祈りが聞かれるのをアビメレク自身経験しています。そんなアブラハムとはやはり友好な関係を築いていきたい。
 しかし過去に欺かれていますからね。今後私たちを欺かないと誓ってくださいとアブラハムに要求するわけです。
 友好的な態度と訳されているのはヘブライ語のヘセドという言葉です。慈しみとも訳せます。
 アビメレクはアブラハムに欺かれてもなお領内に住むことを許しました。慈しみを示しています。
 だからあなたも私たちに慈しみをもって接してくださいと要求するわけです。
 アブラハムはその要求に応え、欺かないと誓いました。
 これでアブラハムもアビメレクも安心です。
 しかしアビメレクが軍隊の長ピコルを連れて来たというところに、アブラハムに対する警戒心があったようにも思えます。

井戸を奪われる

 アブラハムは荒れ野の広がるベエル・シェバで召し使いと家畜を養うため、井戸を掘っていました。数ははっきり書かれていませんが、おそらく7つです。
 人は水を飲まないと3日で死にます。水という資源をどう確保するかはまさに死活問題。荒れ野で生きていくために井戸は不可欠です。
 地形にもよりますが、安定して水が湧き出るようにするには、地下15mほど掘り下げる必要があります。5階建ての建物が入るくらいの深さです。
 重機のない時代で手作業で掘るとなると、相当な日数をかけて命がけの作業になったでしょう。
 1つ掘るたびに、神に感謝したに違いありません。
 それが7つ。アブラハムの召し使いたち、本当に頑張りました。
 これで安心してべエル・シェバで暮らすことができます。
 ハガルとイシュマエルを救った井戸も、もしかしたらアブラハムたちが掘った井戸の1つだったかもしれません。

 ところが問題が起きます。
 その井戸を、ペリシテ人が奪ったのです。
 アブラハムの子孫であるイスラエル人とペリシテ人(パレスチナ人)はこれからも長い付き合いになるのですが、最初に関わったのがここです。
 創世記10章によると、ペリシテ人のルーツはノアの子ハムの子孫。エジプトからカフトル人が生まれ、カフトル人からペリシテ人が生まれました。カフトル人はクレタ島を拠点にしていました。
 そこから出たペリシテ人は海の民とも呼ばれ、エジプトやパレスチナのあたりを襲撃していました。海賊のような民族だったわけです。
 パレスチナに定住してからもまだ海賊の血がうずくのか、略奪行為を働く者がいたようです。
 さあ、アブラハムさんどう出る?
 アブラハムの召し使いたちはよく訓練されています。かつてはわずか318名の精鋭部隊がケドルラオメルたちの連合軍を打ち破ったこともあります。
 7つの井戸を掘り終えた今、彼らの結束は以前にも増して堅くなっています。
 井戸を取り返すため、やりますか。
 ペリシテとの長きに渡る戦いの火ぶたが今…。

アブラハムが犠牲を払い和解する

 とはなりません。
 アブラハムはアビメレクとの交渉で問題を解決しようとします。
 アブラハムが羊と牛の群れを連れて来て、契約を結びます。
 不思議ではありませんか。井戸を奪われたのはアブラハムです。被害者であるアブラハムが犠牲の動物を出して契約を結んでいます。本来ならば被害の弁償としてアビメレク側が負担するべきではありませんか。
 ある面では、その通りです。
 しかし見方を変えると、アブラハムの行動も理にかなっています。
 アブラハムは誓いました。アビメレクとペリシテに友好的な態度(ヘセド)で接すると。
 井戸を奪うという略奪行為は犯罪であり、責められるべきです。
 しかしそのような略奪をして生きていくことしか知らない海賊の末裔である彼らに赦しを与え、立ち直るチャンスを与えます。
 ヘセドには人の生き方を変える力があります。
 アブラハム自身がアビメレクから友好的な態度で接してもらい、自己保身のウソをつくという長年抱えていた問題から立ち直ることができました。
 だから今度はアブラハムが慈しみ(ヘセド)を示す番です。
 そのため、アブラハム自らが犠牲を払います。

神の慈しみ

 このヘセドは、究極的には神の愛に表れています。
 預言者ホセアは愛する妻に裏切られますが、変わらない愛で愛し続けます。
 これはイスラエルに対する神の愛を表すものでした。
 神はホセアを通してこう語ります。

わたしは、あなたととこしえの契りを結ぶ。わたしは、あなたと契りを結び/正義と公平を与え、慈しみ憐れむ。

ホセア書2:21

 ここで慈しみと訳された言葉がヘセドです。
 神はこのように罪人たちを愛してくださる。その愛は永遠に変わらないのだと誓ってくださっています。

 その究極的な形として、神は独り子イエスを送ってくださいました。
 イエス・キリストの十字架の死によって私たちの罪を赦し、復活の主と共に新しい命に生かすためです。
 ヘセドによって私たちも新しく造り変えられます。
 この神の慈しみを受け取ってください。

命の水がわき上がるところ

 アブラハムは羊の群れの中から7匹のメスの小羊を分けて残しておきました。
 この7匹の子羊が、これらの井戸をアブラハムが掘ったことの証拠とするためです。
 おそらく井戸の数に合わせて、7匹にしたのでしょう。
 それでこの場所の名はべエル・シェバと呼ばれるようになったそうです。
 ベエルは井戸、シェバは7です。ですから7つの井戸ですね。
 また誓いを意味するシャバにかけて、誓いの井戸という意味も含まれています。

神との関係を深める

 アブラハムはその地に1本のぎょうりゅうの木を植えました。
 ぎょりゅう(御柳)というのは柳のような木です。地下深く根を張り、荒れ野でも育ちます。流れのほとりに植えられた木のように、一年中青々とした葉を茂らせます。時が来れば花を咲かせますが、実は成りません。
 詩編1編では、本当にさいわいな人は流れのほとりに植えられた木のようだと歌われています。それは神様との関係を大事にする人生です。
 アブラハムもぎょりゅうの木を植えて永遠の神、主の御名を呼びました。
 べエル・シェバでアブラハムは神様との関係をさらに深めます。
 召し使いたちが命がけで掘った井戸を奪われるという試練がありました。
 しかしアブラハムは敵への怒りや憎しみに囚われることなく、自分の能力や武力に頼ることもなく、慈しみを示しました。
 この試練を通してアブラハムは信仰の父、祝福の源としての人生をより確かなものにしていきます。
 ペリシテの人々もアブラハムによって祝福を得ていくことになります。

心の井戸を守る

 井戸を巡って神様との関係を深める。井戸って大事ですね。
 皆さんは井戸を持っていますか。
 命の水がわき上がってくるところを持っていますか。
 実際に地面を掘って井戸を作るのは大変ですが、心に井戸を持ってください。
 心の深いところから、涸れることのない命の水がわき上がってきます。おススメします。井戸はいいど。

 自分の心の井戸を守ってください。
 そこに命の源があります。
 誰かに奪われてはいけません。
 私たちの心の井戸を奪おうとする様々な敵がいます。
 1つは忙しさです。仕事や勉強など、私たちにはしなければならないことがたくさんあります。馬車馬のように働いて、働いて、働いていく中で、心が涸れていく。涸れていることにも気づかないで走り続けると、いつかオーバーヒートして壊れます。
 ペリシテ人のように身の回りの誰かが敵になるかもしれません。人間関係の問題が起こります。上司からの迫害、顧客からの理不尽な要求、愛する人の裏切り。やがて私たちの心は怒りや憎しみに染まり、きれいだった心が血生臭いドロドロしたものに変ってしまいます。
 また、日常の様々な問題という敵もあります。経済的な問題、健康上の問題、将来の不安。この夏をどう乗り切ろうかと考えただけで様々な心配が浮かび上がってきます。心配というのは、心を配ることです。色々なことを心配していると、心の井戸にすき間が空いたように命の水がしみ出してしまいます。
 このような敵がいますから、自分の心がきれいな水で満たされているかよく見張ってください。

キリストの愛によって命の水があふれ流れる

 心の井戸を守る方法は、神様との関係を深めることです。
 イエス・キリストはこのように私たちを招いています。

37 祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

ヨハネによる福音書7:37-38

 私たちの心に涸れることのない命の水をわき出させてくださるのはイエス様です。
 そのイエス様が、渇いている人は誰でも来て飲みなさいと招いています。
 価なしに飲むがよいと招いています。
 どうかこの招きに応えて、イエス様の愛を慕い求めてください。
 求めれば与えられます。心の井戸に命の水がわき上がってきます。

 またイエス様は、その命の水が川となって流れ出るとも約束しています。
 私たちが神の愛を受け取るならば、それは自分を満たすだけではなく、あふれ流れていく。
 そしてすべてを生かす命の川の流れになります。
 私たちを通して、家庭、職場、学校、地域が神の命に満ちあふれていきます。
 心の井戸を守るなら、私たちもアブラハムのように祝福の源としての人生を歩みます。


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