祈りの後方支援

祈りの後方支援

出エジプト記 17:8-16

8 アマレクがレフィディムに来てイスラエルと戦ったとき、9 モーセはヨシュアに言った。「男子を選び出し、アマレクとの戦いに出陣させるがよい。明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ。」10 ヨシュアは、モーセの命じたとおりに実行し、アマレクと戦った。モーセとアロン、そしてフルは丘の頂に登った。11 モーセが手を上げている間、イスラエルは優勢になり、手を下ろすと、アマレクが優勢になった。12 モーセの手が重くなったので、アロンとフルは石を持って来てモーセの下に置いた。モーセはその上に座り、アロンとフルはモーセの両側に立って、彼の手を支えた。その手は、日の沈むまで、しっかりと上げられていた。13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣にかけて打ち破った。14 主はモーセに言われた。「このことを文書に書き記して記念とし、また、ヨシュアに読み聞かせよ。『わたしは、アマレクの記憶を天の下から完全にぬぐい去る』と。」15 モーセは祭壇を築いて、それを「主はわが旗」と名付けて、16 言った。「彼らは主の御座に背いて手を上げた。主は代々アマレクと戦われる。」

祈ることしかできない

「生まれ変わった小名浜港」~東日本大震災から10年を経て~

 昨年12月に福島県いわき市に行ってきました。研修のために行ったのですが、少し観光する時間があったので小名浜という港に行きました。
 きれいな水族館や大きなショッピングモールがありました。港の周辺は建物も道路もきれいです。すべて数年以内に整備された感じです。
 そこから少し内陸に入ると、古い建物も見えてきました。
 なぜ港のあたりがこんなにきれいなのでしょう。
 それは12年前に破壊されたからです。東日本大震災では小名浜も津波の被害を受けました。

 いわき市では福島第一聖書バプテスト教会の翼の教会や関連施設も見学させていただきました。立派な建物で、地域と関わりながら活動しています。
 福島第一聖書バプテスト教会はもともと福島県大熊町にありました。福島第一原子力発電所の近くです。
 震災の直後、原発の事故によって避難しなければならなくなりました。

 12年経って道路や建物はきれいになりました。避難指示は解除されつつあります。
 しかし人々が安心して生活できるふるさとにはなっていないようです。
 日本全体で人口は減っていますが、この10年で日本全体の減少率が1.4%なのに対し、岩手や福島では9%と大きく上回っています。
 特に原発による避難指示が出された地域では、解除されても2割しか帰ってきていません。若い世代の中には帰らないと決めている人も多くいます。

被災地の人口急減、悪循環・復興の足かせに…「3・11」から12年

 もし突然の出来事によってふるさとを奪われたらどう思うでしょう。心が痛みます。
 ふるさとの復興のために私たちに何ができるでしょうか。
 若い人が移住して働いたり子育てしたりするのが理想でしょうが、移住は簡単なことではありません。
 東北のものを買ったり観光に行ったりして産業を応援するのもいいです。
 若い人が安心して暮らせるようになるには、やはり政治の役割が大きいでしょう。
 このような問題に対して、心が痛みながらも何もできない。祈るしかないと思います。
 しかし祈りこそ、最高の後方支援です。

祈りの助けによって戦う力を得る

 今日の本文はイスラエルがアマレクに襲われたときの話です。
 エジプトを脱出したばかりの無防備な民を、アマレク人が襲撃しました。略奪するためです。
 アマレクの戦力は書かれていませんが、相当な数の武装したアマレク人が襲ってきたのでしょう。

アマレクとの戦い

 モーセは従者のヨシュアに、男たちを集めてアマレクと戦うように命じました。
 モーセ自身は80歳のおじいちゃんですから、戦力になりません。イスラエルの危機に立ち上がろうと心は燃えても、肉体は弱いです。
 80歳のおじいちゃんに何ができるでしょう。

 モーセはヨシュアに言います。
 「明日、わたしは神の杖を手に持って、丘の頂に立つ。」

  杖を持って立つだけ?
 いいよいいよ、おじいちゃん。座って休んでて。戦いは俺がやるから。

ジョン・エヴァレット・ミレイ「主の勝利」

 とは言いません。ヨシュアはむしろ励まされたと思います。
 なぜならモーセが杖を持って立つとき、神様の御業が起きることをヨシュアは目にして来たからです。
 モーセが杖を持って海に手を差し伸べると、海の中に道ができました。
 モーセが杖で岩を打つと、岩から水が湧き出ました。
 そしてアマレクとの戦いでも、モーセが手を上げるとイスラエルは優勢になりました。

 手を上げるというのは祈りと言い換えることができます。
 モーセの祈りによってイスラエルは戦う力を得ました。祈りの後方支援です。

祈りの助けを得る

 突然敵に襲われるような出来事があります。私たちの人生でも思いがけない病気や事故、災害が襲ってきます。
 そのような戦いを1人で戦うのは大変です。
 ヨシュアが男たちを集めて戦ったように、同じ境遇にある仲間たちと助け合うのもいいです。
 そして祈ってくれる友を持ってください。

 パウロも手紙の中で「私たちのために祈ってください」とお願いしています。

3 同時にわたしたちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、わたしたちがキリストの秘められた計画を語ることができるように。このために、わたしは牢につながれています。4 わたしがしかるべく語って、この計画を明らかにできるように祈ってください。

コロサイの信徒への手紙4:3-4

 ローマで牢に入れられていたパウロには、祈りの助けが必要でした。

 イエス様がゲツセマネの園で祈る時、弟子たちを近くに座らせておきました。
 弟子たちは寝てしまいますが、一緒に目を覚まして祈ってほしかったのでしょう。

 目の前の問題は、あなたが責任を持って戦わなければならない問題かもしれません。
 しかし祈りの助けをもらうとき、あなたは戦う力を得ます。

 あなたが大きな問題を解決できたとき、あなたの力で勝ち抜いたと高ぶってはいけません。
 あなたの後ろで支えてくれた人たちがいました。病気が癒されたのはあなたの体が強かったというだけでなく、あなたの健康を支えてくれる家族がいたから。仕事の問題を解決できたのはあなたの能力だけでなく仲間がいたから。お金の問題を解決できたのは運がよかったのではなく、支援する人がいたから。
 何より、あなたの知らないところであなたのために祈っている人がいます。
 その祈りの助けがあるから、私たちは戦えます。

心を合わせて祈るならイエスが叶える

 両手をしっかり上げてみてください。

 「地球のみんな、オラに元気を分けてくれ!」

 手を上げるというのは労働です。だんだん手が重くなってきます。
 年を取ると肩が上がらなくなってきます。

モーセの手を支えたおじいちゃんたち

 モーセおじいちゃんの手がぷるぷる震えてきました。
 手がだんだん下りてきます。
 モーセが手を下ろすと、今度はアマレクが優勢になりました。
 これはヤバい。
 モーセも限界です。1人で手を上げ続けることはできません。

 丘の上には他にもおじいちゃんたちがいました。アロンとフルです。
 彼らはモーセを座らせ、両脇に立ってモーセの手を支えました。こうすると手を上げ続けられます。
 おかげでモーセは日の沈むまで手をしっかりと上げ続け、ヨシュアたちはアマレクを打ち破りました。

私たちは祈ることができる

 祈りは誰でも参加できる後方支援です。
 年を取った者に何ができるだろうか。祈ることができます。
 戦場から遠く離れた丘の上にいて、何ができるだろうか。祈ることができます。
 遠くにいる家族や友人のために何ができるだろうか。東北の被災地のため、ウクライナ、トルコ、シリアのために何ができるか。祈ることができます。
 他の形で具体的な支援ができる方は、ぜひその支援も行ってください。それに加えて、私たちは祈ることができます。

祈り合う仲間を持つ

 1人で祈ることもできますが、祈りのネットワークを作って祈ってください。
 1人で手を上げ続けることができないように、1人で祈り続けることは難しいです。
 心を合わせて祈る仲間を持つことで、互いに励まし合って祈り続けることができます。

また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。

マタイによる福音書18:19

 モーセ、アロン、フル、3人のおじいちゃんが祈る時、イエス様もそこにいて彼らの祈りに応えてくれました。
 祈り合う仲間を持つなら、その祈りはイエス様が叶えてくださいます。

祈りで支え合う

 教会のためにも祈ってください。
 兄弟姉妹のため、教会の働きのため、私たちは祈ることができます。
 それぞれの生活があるので平日も集まって祈るのが難しい人もいますが、離れていても互いに祈り合うことができます。

 ライフラインの委員会は毎年経済的な危機を迎えます。その度に祈ってくださいとお願いします。
 そうすると解決されます。
 本当に祈りには力があります。

 祈る人は神様の御業を見ます。
 だから祈りの輪に加わってください。神様がすべての必要を満たしてくださるのを見ます。
 私たちは祈ることができます。

イエス様も祈ってくれている

 勝利を記念してモーセは祭壇を築き「主はわが旗(アドナイ・ニシ)」と名付けました。
 高く掲げられ風になびく旗は目印になります。
 祭壇に実際に旗が掲げられたかどうかはわかりませんが、この祭壇を見上げるたびに民は、神が共にいて祈りを聞いてくださったこと、神が代々に渡ってアマレクと戦い続けてくれるということを思い起こすことができました。
 問題の中にあっても、神が共にいて戦っておられるということを忘れてはいけません。

天からの祈り

 突然襲ってくる問題に対して、私たちのために祈っているのは誰でしょう。
 私たちの周りの人だけではありません。イエス様も祈っています。
 偉大な大祭司イエスは今も天で私たちのために祈っています。
 聖霊も言葉にならないうめきをもって私たちのために祈っています。
 だからどのような問題が襲ってくるとしても、私たちは圧倒的な勝利者です。

罪深い私たちのため祈った

 モーセが丘の上で手を上げて祈ったように、イエス様も丘の上で手を上げて祈りました。

そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。

ルカによる福音書23:34a

 ゴルゴタの丘の上で、イエス様は十字架につけられました。
 手を上げた状態で、イエス様は私たちのために祈ります。
 日々、罪と誘惑の中で戦い続ける私たちのために。自らの弱さや足りなさに直面する私たちのために。誰にも話すことができない悩みを抱え葛藤する私たちのために。
 イエス様は私たちの罪深さ、弱さ、足りなさ、悩みをすべて知っています。
 そして丘の上で手を上げ、私たちのために祈ってくださいました。

祝福を祈り続けている

 イエス様は私たちのために十字架で死なれ、3日目に復活しました。
 復活したイエス様はオリーブ山の上から天に上げられます。オリーブ山も丘のようなかたちです。
 この時もイエス様は手を上げて祈りました。

50 イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。51 そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。

ルカによる福音書24:50-51

 イエス様は再び丘の上に立ち、手を上げて祈りました。弟子たちの祝福を祈るためです。
 そして祝福しながら天に上げられました。
 イエス様は手を上げて祝福しながら天に上げられ、今も天で私たちのために祈り続けています。
 イエス様は今も手をしっかりと上げ、私たちのために祝福を祈り続けています。
 祈りという最高の後方支援が、天から私たち一人一人に送られています。

 私たちには祈ることができます。祈るしかできないという状況にあっても、私たちにも祈ることができます。
 戦いの中にある人たちのために祈りましょう。
 そして仲間たちと共に祈りあいましょう。
 祈り課題を共有し、私のために祈ってくださいとお願いしてください。
 何よりイエス様が、聖霊が、あなたのために祈っています。
 祈りは最高の後方支援です。

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